前編に引き続き、パリ在住20年、大学と語学学校で日本語を教えるえすてるさんにお話を伺いました。
この記事を読むと、知り合いが一人もいないパリ郊外での孤独な子育てから、パン屋の壁一枚の広告で始めた仕事、そして「怖いけどやってみる」を貫いてジンバブエの子どもたちへの支援や舞台の危機を乗り越えてきたえすてるさんの歩みがわかります。
日本での5年を経て、子連れで舞い戻ったパリ郊外
3年間のフランス留学中、えすてるさんは後に夫となる人と出会いました。
夫は日本で働きたいという希望を持っており、いずれ結婚するならとタイミングを合わせ、ビザの取りやすさもあって結婚を決めたといいます。
フランスで先に結婚したのち、2人は日本へ移り住みました。日本での5年間で日本語教師の資格を取得し、娘と息子の2人の子どもにも恵まれます。
その後、夫が元の仕事に戻ることになり、一家は再びフランスへ。
上の娘が3歳になる少し前、下の息子が11か月ほどのときに、パリ郊外での暮らしが始まりました。
知り合いゼロの土地でストレス円形脱毛症に。パン屋の壁一枚から始めた日本語教室
当時はインターネットもまだ発達しておらず、3年間の留学中にできた友人ともメールでのやり取りはなく、電話だけがつながりでした。
日本での5年間のうちに連絡は途絶え、フランスに戻ったときには知り合いが一人もいない状態だったといいます。
しかもパリ市内ではなく郊外の街で、日本人も知り合いも家族もいない中、夫は仕事に出かけ、えすてるさんは子ども2人と家にこもる日々が続きました。あまりのストレスに、円形脱毛症になるほどだったそうです。
保育園にもなかなか入れなかったため、夫の帰宅後や子どもの就寝中に仕事ができればと考え、免許はあっても車がなかったため自転車で行ける範囲のパン屋に「日本語教えます」という手作りの広告を貼らせてもらいました。
パンは日常生活に欠かせないため、レジ前の広告は現地でもよく使われる方法だといいます。そこから2〜3人の生徒が集まり、個人授業がスタートしました。
大学へ入り直し、語学学校を掛け持ち 年間200〜300ユーロが支えた学び直し
手作りの個人授業は少しずつ広がり、週1回夜に開講する語学学校が最初の勤務先になりました。夫が帰宅後に子どもを引き継ぎ、えすてるさんが出勤するという形で仕事を続けていたそうです。
語学学校の数が増えるうちに大学からも声がかかるようになり、大学で教えるならとディプロムを取り直すため、フランスの大学に入り直すことを決意します。
フランスの国立大学は年間登録料のみで済み、当時のレートで6万円から10万円弱ほどだったといいます。
今は少し値上がりしているものの、依然として学び直しやすい環境です。
合わないと感じたら1年目でやめて別の学部に移るのも珍しくないほど、フランスの大学生には進路を柔軟に選び直す文化があるそうです。
打たれ弱かった自分を変えたくて始めた演劇。離婚を機にもう一度舞台へ
たくましいと言われることの多いえすてるさんですが、本人は子どもの頃からコミュニケーションが苦手で、何をやっても続かずすぐに諦めてしまう性格だったと振り返ります。
その自分を変えたいと、高校時代に演劇を始めました。
その後、えすてるさんは離婚を経験します。
夫婦でいる間は友人関係も共通の知人ばかりになりがちで、離婚後に友達がいなくなってしまうという不安がありました。
フランス語も夫に頼りきりで、決して得意ではなかったといいます。
そこで、フランスに来てから遠ざかっていた演劇をもう一度始めることにしました。その結果、たくさんの友人ができ、自己表現も自由にできるようになったそうです。
文房具450本の目標が数千本に。ジンバブエの子どもたちに届けた寄付の輪
友人に誘われ、ジンバブエのフリースクールで演劇ワークショップを行うことになったえすてるさん。
お礼に何を持っていけばよいか尋ねたところ、常に不足している文房具が喜ばれると聞きました。
当初は200〜300人程度だろうと考えていましたが、実際には450人もの子どもがいることがわかります。
友人からはアマゾンでまとめ買いすれば200ユーロほどで250本ほど揃えられると提案されましたが、えすてるさんはそれでは違うと感じたそうです。
使いかけでも新品同様のペンや鉛筆が各家庭に1〜2本はあるはずだと考え、そうした文房具の寄付を呼びかけることにしました。
Facebookなどで呼びかけると大きな反響があり、日本人やフランス人、日本在住の人からもボールペンやファイル、ノート、糊などが次々と届きます。目標としていた100本を大きく上回り、最終的には450本をはるかに超え、10〜15キロ分もの文房具が集まったといいます。
「怖いけどやってみる?」の先にあった娘の言葉、そしてえすてるさんが語るフランスという国
大学で教える学生の中には、夢を持てなかったり、諦めるのが早かったりする子が少なくないと、えすてるさんは感じています。
自身もフランス語ができず大学を留年した経験がありながら、少しずつ積み上げて今の生活を築いてきたからこそ、若い世代に「怖いけどやってみる?」と伝えたいそうです。
その姿勢は演劇でも発揮されました。
2年かけて準備した舞台の本番3ヶ月前、メインの役者が降板するという事態が起こります。
周囲は「もう無理だ」と諦めかけましたが、えすてるさんは「探してもいないのに諦めるのはおかしい」と説得し、新しい役者を探し出しました。
結果として3ヶ月でセリフを覚え切り、無事に公演を成功させたそうです。
学生たちからは「杉本先生」「エステル先生」と呼ばれ、学期の終わりには抱き合って泣くほどの絆が生まれているといいます。
最近は、プロカメラマンのモデルオーディションに応募して当選し、写真撮影にも挑戦しました。
舞台には立てても、役という設定なしに自分自身をさらけ出すのは苦手だったといい、これも克服すべき課題の1つだったそうです。
今、娘は一人で日本に暮らしています。
娘からは「お母さんが先にフランスに来ていろいろやってきたから、私も挑戦できる」と言われたそうです。行
動で見せることの大切さを、えすてるさんはあらためて実感したといいます。
最後に
フランスという国について尋ねると、
「どんな人であっても受け入れてくれる、めっちゃおもろい国」
だという答えが返ってきました。
政治に無関心ではいられない国民性で、幼稚園児が大統領選挙について議論する場面に出会うほど、政治が身近な存在だといいます。
問題は数多くあっても、希望は捨てない。そんな国だからこそ、えすてるさんのように挑戦を重ねる生き方が自然に育っていくのかもしれません。
パリの場所すら知らないまま飛び込んだ20年は、孤独な子育ても、資格の壁も、大切な人との別れも経験しながら、そのたびに「怖いけどやってみる」を選び取ってきた歩みでした。
ぜひYoutube動画もご覧ください。
フランス語で留年→大学教師へ。孤独な子育てと離婚を越えたパリ生活
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