海外に行ってみたいけれど、英語が話せないから一歩が踏み出せない。移住先の候補として名前が挙がるのは、いつも欧米ばかり。現地の生活が実際どうなのか、旅行のガイドブックではわからない。
そんな方に向けて、今回はネパール在住のリュウジさんにインタビューしました。リュウジさんは34歳、ネパール南部のチトワンにある日本語学校で、特定技能介護の評価試験対策員として働いています。
この記事を読むと、海外経験ゼロだった介護士がなぜネパールを選んだのか、そして観光では見えてこないネパールの暮らしがどんなものかがわかります。トイレ、食事、停電、感染症、そして去年起きた大規模なデモまで、包み隠さず話してもらいました。
海外に一度も行ったことがない34歳が、直感で手を挙げるまで
リュウジさんは20歳から介護の仕事をずっと続けてきました。海外渡航の経験は一度もなく、英語も話せない状態だったといいます。
それでも海外への興味は前々からありました。きっかけは、介護の現場で一緒に働いていた同僚です。タイやベトナムで経験した話、そこでできた友人と5年10年経っても連絡を取り合っているという話を、よく聞かせてくれたそうです。
転機は2年前の8月に訪れます。介護の仕事を通じて知り合った知人が「ネパールの日本語学校で介護の先生ができる人はいないか」と探していました。その知人自身もインドやネパールをバックパッカーとして旅した経験のある、話の面白い人だったといいます。
当時まだ結婚しておらず、長期間ネパールに行っても特に困ることはない。むしろ自分の人生のネタになるし、これはチャンスだと直感で思ったそうです。すぐに手を挙げ、その年の10月にネパールへ渡りました。
【要確認 素材の冒頭では「移住して1年半ほど」と紹介されている一方、ご本人は「2年前の10月に来た」と話されています。渡航時期の表記をどちらに揃えるか確認が必要です】
高齢者も介護施設もない国で、日本を目指す学生に介護を教える
リュウジさんが働いているのは、特定技能制度で日本就労を目指す人たちが通う日本語学校です。
学生が日本に渡るまでには、次のステップを踏む必要があります。
- 日本語を勉強して、日本語の試験に合格する
- 自分が働きたい分野の技能試験に合格する
- ビザが下りて、日本に渡る
リュウジさんが担当しているのは、このうち介護分野の試験対策です。
日本に渡るまでにかかる期間は、平均で1年半から2年ほど。早い人でも1年はかかるといいます。試験に合格してビザが下りるまでの数ヶ月も無駄にしないよう、学校とは別に介護教室を設け、1ヶ月ほど実技のスキルを教えているそうです。
指導で最も苦労するのが、そもそもの前提が日本と違うことでした。ネパールには70歳以上の高齢者があまり多くなく、介護施設という存在自体がありません。介護は家族がするものという習慣が根づいており、他人に任せるのはありえないという感覚だといいます。
日本の介護では認知症のケアが大きな柱になりますが、認知症の高齢者が身近にいない環境で、それを教えなければなりません。施設で入浴と食事の介助をして家に帰る、という説明をしても最初はぴんとこない。まず「日本ではこうなんだ」という前提から伝えていく必要があったそうです。
背景にあるのは、ネパールの若者を取り巻く事情です。働きたくても仕事がない一方、若い人の数は非常に多い。国民のおよそ30%が海外で働いており、海外に出るのは当たり前という風習があるといいます。
日本の高校生がアルバイトをするような感覚はなく、生活費は親が出し、若者は海外に行くための勉強をします。行き先は目指すビザによって分かれるそうです。
- 特定技能で行く場合は、日本や韓国
- 英語を使うビザで行く場合は、オマーンやドバイ、サウジアラビア
初日のトイレで心が折れかけた 食事の辛さと1日5〜6回の停電
ネパールに渡る前、リュウジさんは怖さもあってGoogleでいろいろと調べていました。目にしたのは、こんな情報だったといいます。
- 左手は不浄の手とされている
- 右手でご飯を食べる
- 大気汚染がひどく、死因ランキングに肺炎が入っている
実際に来て最初に驚いたのがトイレでした。日本でいうボットン式のしゃがむトイレで、トイレットペーパーがありません。
使い方を現地の人に聞くと、こう説明されたそうです。
- 横に置いてある小さなバケツに水を溜める
- 用を足したら、左手で水をすくってお尻を洗う
- 紙はないので、自分で体を振って水滴を落とす
- ズボンを履いて終わり
さすがに「洋式はないの」と聞いてしまい、1回目はスルーしたといいます。ただ長く暮らすなら早く慣れたほうが身のためだと思い直し、頑張って一度使ってからは、きちんと左手で洗えるようになりました。今住んでいるアパートは日本人が入居するということで洋式になっており、家に帰ると少しほっとするそうです。
次に驚いたのが食事の辛さです。初めて食べたのはネパールの国民食であるダルバートでした。大きな平皿にワンセットで並ぶ料理です。
- 真ん中にお米
- 野菜の漬物
- 辛いソース
- 肉のカレー
- 豆のスープ
そのカレーがすでに辛いのに、現地の人は生の唐辛子をかじりながら食べます。「これはめちゃめちゃ辛いからやめたほうがいい」と言われた丸い唐辛子に挑戦したところ、お腹が痛くなるほど辛かったそうです。
以来、辛いものが苦手になりました。レストランで「ノースパイシー」と伝えても、出てくる料理は10段階中2から3ほどの辛さがある。ベース自体が辛いのです。
対策は自炊だといいます。
- 唐辛子を使わない
- スパイスは辛くないものを選ぶ
- ソーセージも辛くないものにする
自分で食材を選べるのが一番だそうです。
おすすめのネパール料理を聞くと、焼きそばに近いチャウミンという料理を挙げてくれました。日本食を食べているような感覚になり、値段も高くないとのこと。ただし、これも少し辛いそうです。
暑さも生活に響きます。ネパールは中国とインドに挟まれた山岳の国で涼しい場所も多いのですが、リュウジさんの住むチトワンは国内でもとりわけ暑い地域です。夏は35度から40度になり、4月頃から10月頃までは30度を超える日が続くといいます。
そして停電です。夏場はエアコンや扇風機を使うため、1日に5、6回ほど停電することがあります。数分で復旧すればいいほうで、夜に1時間止まることもあるそうです。
原因は、使える電力量を超えて使ってしまうこと。家のブレーカーが落ちるのと同じ理屈で、止まっている間に電力が回復してまた使えるようになるといいます。チトワンだけでなくネパール全体で起きていることだそうです。
夜中に急にエアコンが止まると暑さで目が覚めてしまう。予備バッテリーがあって扇風機だけは使えるレストランもあるので、そういう店に逃げ込むこともあるといいます。
電気がついたら神様にお祈り 生活に根づくヒンドゥーの習慣
ネパールの人たちは神様をとても大切にします。国全体で宗教が生活に絡んでおり、教えをもとに日々を送っているといいます。
驚いたのは、お祈りの対象が身近なものにまで及ぶことでした。部屋の電気がつけば電気をつけてくれた神様に祈り、バイクに乗るときは機械を司る神様に祈る。手を合わせたり、額と心臓に手を当てたりする所作をするそうです。
授業中に停電して、電気が戻ってきたときには、ほとんどの学生が電気に向かってお祈りをするといいます。ありがとうという気持ちの表れです。
リュウジさん自身も、最近は少しずつ真似をするようになりました。電気へのお祈りはまだできないけれど、バイクに乗るときやお寺を見かけたときにはきちんと祈るようにしているそうです。
食の面でも宗教の影響があります。ネパールでは牛を食べてはいけないとされており、食べるのは豚、鶏、羊、そして水牛です。水牛は牛としては扱われず、日常的に食べられているといいます。
味はビーフジャーキーのような少し固い牛肉に近く、普通の牛肉と大きく変わらないとのこと。リュウジさんも「大好きですね」と話していました。
39度の高熱と、初めて行った現地の病院
感染症のリスクも現実の話です。リュウジさんをネパールに誘った知人は、一緒に渡航して1週間ほど滞在し日本に帰国した後、急に高熱を出しました。
インフルエンザもコロナウイルスも陰性。ネパールに行っていたと伝えたところデング熱ではないかという話になりましたが、日本にはデング熱の検査キットが多くないため、消去法での診断だったそうです。半袖半ズボンで過ごしていたことが原因と見られています。
リュウジさん自身も、取材の1ヶ月ほど前に39度から40度の高熱を出しました。頭痛と寒気があり、アパートの下に住む大家さんが偶然看護師だったため様子を見に来てくれたといいます。
応急処置として抗生剤をもらい少し楽になったものの、高熱が出ては下がるのを1日じゅう繰り返しました。ネパール語が話せないなか、命には代えられないと思い、初めて現地の病院へ行ったそうです。
採血の結果はデング熱ではなく、血液感染という診断でした。汚れた水や食べ物から菌が血液に入ってしまうもので、水分と食事をとれば1週間ほどで治ると言われ、今は元気になっています。
蚊の多さも深刻です。デング熱やマラリア、狂犬病もあるため予防接種が推奨されていますが、実際に打っている人は現地の人でもそう多くないといいます。日本から持参した虫除けスプレーは全く効かず、現地で売っている蚊取り用品に切り替えたそうです。
面白いのは、現地の人はデング熱を媒介する蚊とそうでない蚊を見分けられるという話です。お腹に白いラインが入った少し小さい蚊だそうですが、リュウジさんが見てもまだ区別はつかないといいます。
去年9月のデモ 発砲音と、笑顔で出かけていく人たち
最も強く記憶に残っている出来事として、リュウジさんが挙げたのが去年9月の大規模なデモです。
発端は政府によるSNSの使用停止でした。日本でいうZ世代にあたる若者たちが集まり、市役所や銀行、大型スーパーなどを燃やし始めたといいます。
被害の大きさに政府はSNSを解禁しましたが、それでも収まりませんでした。警察や軍が発砲し、若い人が命を落とす事態にまで発展します。リュウジさんは自宅にいて、目の前で発砲音を聞いたそうです。
首都カトマンズでは刑務所が襲撃されて囚人が脱獄し、警察から銃を奪う様子がTikTokに次々と投稿されていたといいます。最終的に政権が交代し、新しい首相に女性が就いたことで、若者たちは矛を収めました。
リュウジさんが驚いたのは、現地の人たちの反応でした。デモが起きたとき、周囲の人が笑顔で「私も参加するよ」とやる気になって出かけていったのです。
ネパールでは2006年にも、王の権力乱用に対するデモが起き、それがきっかけで王制が廃止された歴史があります。現地の先生が「あのとき私も行ったよ」とキラキラした目で語る姿も目にしたそうです。
政治を変えるための真剣さはすごいと思う一方で、若者が撃たれているのになぜ笑っているのだろうという気持ちもある。その2つが激しく混ざり合っていたことを今でもよく覚えている、とリュウジさんは話します。
デモが終わった後、日本のニュースでは「SNSを止められた若者が暴れた」という趣旨で報じられていました。しかし実際には、政府の人間が金を使っていい暮らしをする一方で、貧しい人は貧しいままだという不満がありました。それを訴え続けても聞いてもらえず、SNSで人を集めてデモを起こそうとしたのです。
集まられると困る政府がSNSを止めた。そんな背景がようやく表に出てきているといいます。
海外経験ゼロから飛び込んだ34歳が、1年半で見てきたのは、観光では決して届かない場所にあるネパールの素顔でした。
ぜひYoutube動画もご覧ください。
【ネパール移住】海外未経験から介護講師へ|現地で知った暮らしと文化のリアル
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