※この記事はせかいじゅうサロンの「海外在住者ピックアップ」企画で、紹介された内容です。
せかいじゅうのみなさん Bon jour!
佐藤彩夏です。
2021年 南フランスのアーデッシュに移住。在住1年半です。
日本で会ったフランス人の彼と移住し、フランスで結婚。
田舎でゲストハウスを営んでいます。
自己紹介
東京出身。人生のモットーは、「人生1度きり、楽しむこと」。
これまで20か国へ訪問。
トリリンガル (日本語・英語・スペイン語)。自称言語オタク^ ^
4か国語目のフランス語に挑戦中!
小さい頃から英語が大好きで、中高生時代、猛勉強の末、日本で英語を習得。
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大学生の夏休み、短期でサンフランシスコの語学学校へ行ったことが、後にスペイン留学のきっかけに。
スペイン人や南米人と接し、次はスペイン語を勉強したいと思うようになる。
大学卒業後、スペイン・バレンシアに1年間語学留学。
帰国後、20代に5種類の仕事を経験。
人生の転機と移住の経緯
2019年 外国人観光客のツアーガイドをしていた時、今の夫に出逢いました。
彼はツアーのお客さんで、奇遇なことに同じ最寄駅に住んでいるという驚きからスタート。ㅤ
そして、知り合った直後コロナ到来。私はガイドの職を失いました。
コロナがなければ、彼はベトナムに転勤予定でしたが、その話もなくなり日本から動けない状態に。これも私の運命を変えました。
ちなみに、彼は今までカナダ・東南アジアなど5か国を転々としてきた、移住のベテラン(笑) ㅤ
コロナ禍、彼は思案の末、思い切って投資のため、フランスの田舎に家を買うことにしました。ゲストハウスを経営するという目的も持って決断。
移住の話を始めたのは、私たちが出逢って、まだ1年ちょっとのこと。
私にとっては、移住の決断よりも、田舎生活が続くかの方が懸念でした。死ぬまでそこに住むんじゃなくて、数年後またどこかに移住できるなら行くという条件で、移住しました。
移住前、私は友人の紹介で運よく、東京オリンピックの通訳の仕事をしていました。そのお陰で、資金ができ、躊躇せず移住の決断ができたのも、本当にラッキーなことでした。
こうして思っても見なかった形で、私の10年来の夢だったヨーロッパ移住が叶うことになったのです。
彼との出逢い、コロナ、失業、オリンピックの仕事、移住。
色々な偶然が重なって、フランスへ導かれました。
人生って、何が起こるかわからないですよね。
フランスでの田舎生活
私たちの住むアーデッシュ(Ardèche)は、渓谷・川に囲まれた美しい県です。
リヨンとマルセイユの間に位置します。
温暖で土地が豊かなため、ワイン農家のブドウ畑、オリーブの木などの景色が広がります。
フランス人のイメージは、『アーデッシュ=やぎ』というほど^ ^
家からの景色は、山オンリー。聞こえるのは、鳥のさえずりだけというとても贅沢な環境です。同時に「ここまで東京と真逆な場所があるか」という程、極端な生活をしています。
でも、スーパーやレストランまでは、車で20分の距離。街まで近いので、東京出身でも何とかやっていけています^ ^
夫がアーデッシュを移住場所に選んだ理由は2つ。
・気候が温暖
・ゲストハウスを経営するため、観光客がやってくるエリアであること
アーデッシュは地中海気候で、年間300日晴れ。シーズンは、4月〜9月。
観光客はフランス・ベルギー・オランダ・ドイツ人。車でやって来て、キャンプ・カヤック・ハイキングを楽しみます。
またヨーロッパ人は、川でビキニを着て、海岸のビーチと同様の楽しみ方をします。川沿いでピクニックをしながら、日焼けを1日中楽しみます。アーデッシュと言えば、渓谷が有名なので、多くの人がカヤッキングをしに来ます。
私たちの住むエリアは、夏と冬では、全く異なる場所に一変します。シーズン中は、スーパーやレストランは観光客で激混み。静かな田舎町が賑わいを見せます。
冬は、地元の人のみで静まり返ります。シーズンオフ中の1〜2月は、レストランは全て営業を閉めてしまうほど。
そして、アーデッシュの特産品は栗!至る所に栗の木があります。家の庭にも栗の木があり、時期には200キロの栗が収穫できます。
ちなみに手拾い(汗)去年は、大量の自家製マロンクリームを作りました。
我が家でゲストハウス
我が家は築300年の古い石造りの一軒家。
家の周りには、広大な庭と言うか土地?(笑) があり、正に田舎の家。ジブリに出てくるような非現実的な家に住んでいます^ ^
東京では考えられないことの一つを紹介します。
石造りだと家の中がよく冷えるため、うちには冷房が存在しません。夏は40度近くになる日もありますが、乾燥してカラッとしているので、驚くべきことに冷房なしでもOK。
外から家に帰ると「涼しい〜」というくらい。
冬は、オイルヒーターと暖炉で過ごします。暖炉がある生活は、ゆったりとして贅沢な空間です。
ゲストハウス”Le Relais des Bouziges”は、2022年の3月にオープンしました。
フランス語で、ゲストハウスを”Maison d’hôte”と呼びます。
私たちのゲストハウスには、2つの宿泊タイプがあります。
①Chamble d’hote 『朝食付きの部屋貸し』
②Gîte 『キッチン&テラス付きの部屋で独立したステイができる』コンドミニアムのようなイメージ。
7~8月のハイシーズンだけは、家を丸ごと一軒貸します。プールや庭も全て使えます。
学校の夏休みに合わせ、親も休みを取り、最低2週間のバカンスを過ごす人がほとんどです。ㅤ
お客さんは、家族連れとカップルがほとんど。
日本のみなさんも是非、我が家にバカンスにいらしてみてください^ ^
フランスの文化
移民への寛容さ
フランスでの生活で有難いことは、日本人という目で見られないことです。フランス人は、小さい時から「人はそれぞれ違うことは当たり前」という教育を受けて育つそう。
例えば、このど田舎で地元の人と話す時も「私が東京から来たこと」は誰からも驚かれません。「へーそうなんだ」くらいで、私が外国人であることは、彼らにとって、いい意味でどうでもいいことのよう。ㅤ
フランスは人種のるつぼ。そして移民にとても寛容な国です。異なる人種や宗教の人々が混ざり合っているのは、普通のことで、外国人として、社会に受け入れられているのをとても感じます。
勿論、ニュースではヨーロッパの移民受入の問題などが流れていますし、事実として移民に関してネガティブに捉える人もいます。それはどの国でも同じだと思います。でも1外国人として、フランスは住みやすい国だと個人的に強く感じます。
アペロ
フランス語で”Apero”。
お酒&おつまみと共に会話・時間をゆっくりを楽しむ習慣のことです。
正にフランスを代表する文化と言っていいでしょう^ ^
アペロは、基本的にランチ又はディナーの前にします。フランスでは、人を家に招いてアペロをして交流を深めることが多いです。
私たちも移住してから、よくご近所さんとアペロをします。夫の家族が来た時も、夜は必ずアペロをして、その後夕飯はお決まり。
私たち夫婦だけでも、アペロはほぼ毎日しています(笑)
海外へ挑戦したい方へ
私は、20歳からずっと日本から世界に出ることを渇望していました。
長年、自分の考え方や価値観は、日本よりも西洋よりだと思っていました。
例えば、自分の意見をはっきり言えることは、必須だと考えますし、社会から個人が違うことを尊重されるべきだと思っています。
日本の集団主義、同調主義の中で生きていくのは、私にとって長い間とても困難でした。
日本にいる間は、嫌な所ばかりが気になって、母国の良い所に中々着目できずに生活していたことを改めて感じています。
でも今夢を実現して、学んだことは、『海外生活は、とにかく大変』。
移住してから、自分は西洋の生き方の方が合う!という自信は、いい意味でなくなりました。自分にも日本人の要素がふんだんにあることを体感したのです。
私はまだ移住2年目で、新しい国に適応している真っ最中。
“暮らす”ということは、期限つきの留学とは訳が違います。小さなことでも、積み重なるとストレスになっていくし、楽しいことも大変なことも同じくらいあります。
それでも、生き方や価値観は、こっちの方がやっぱり合っているので「移住してよかった」と思えます。
とにかくみなさんには、シンプルに『海外に移住したら、HAPPY!』という風には行かないということをお伝えしたいのです。
他にも移住して学んだことは沢山あります。
1つ目は、日本の良さを再認識できること。
海外にいると痛感するのは『母国の素晴らしさ』です。日本人は、几帳面できちんとしています。規則正しく、社会の秩序を重んじます。
それは、どの国にもできる簡単なことではないことが、日本を出るとよくわかります。
日本人が当たり前にやっていることは、世界ではものすごく難しいことのように見えます。
そんな日本人ってすごいなと素直に感心しています。
2つ目、『海外移住=自分のコンフォートゾーンを壊せる最大の経験』。
一旦、自分の心地よいゾーンから出るとわかるのが、驚くほど、あれこれ些細なことに適応しなければならないということ。
例えば、海外にいながら、日本で育ったため、NO!ということが苦痛だったり、本音と建前の態度をつい取ってしまったり、相手がどう感じてるかを察しようとしたり、、、こっちではしなくてよい日本の習慣をついやってしてしまう。
日本の習慣をフランスでしても、マッチしないのです。
適応するためにもがいて行動を変えるのは、不快でもありますが、次第に自己成長になります。
新たな文化の中で、違いを気にしすぎず、心地よく生活して行くことが今後もずっと続く課題です。
3つ目、言語ができない国に来ると、こんなにも苦労する。
私は、知らない言語の国へ来てとんでもなく苦労しています。いきなり全部が初めてに飛び込んだのですから、普通に考えれば当然のことです。
でも、移住前から、言語の壁をかなり甘く見ていました。
「フラ語もスペ語のように1年くらいで大分話せるようになるだろう」くらいに思っていました。
私は、外交的で人と話すことが好き。1年目の人との交流の場は、”苦痛と疎外感”でしかありませんでした。話したいけど、話せない。ただ、ひたすら作り笑いをする3時間のアペロ。。。
夫は通訳をして、いつもサポートしてくれていましたが、限界はありました。
私は「人と”直接”繋がりたい」という自分の根底の思いに気がつきました。相手の話がわかればいいだけではなく、自分の口で話してわかり合いたい。
そんな時期を乗り越え、今では大分会話も思うようにできるようになりました。
まだまだ新たな言語の旅は始まったばかり!挫けずペラペラを目指すぞ!
最後に
私はあまり考えすぎずに移住をしました。「行く前に色々考えなくても、行ったらわかる!」くらいの感覚で。
そのせいで移住してから、むちゃくちゃ苦労しました(笑)。でもあの鈍感さと大胆さがあったから、ここに来れたと思っています。
まだまだ冒険は始まったばかり。
私の体験を読んで頂き、誰かに勇気を与えられたら嬉しいです。
最後にお伝えしたいことは、
「人生やってみないとわかんない!」ということです。
ずっとやってみたかったことも、やってみたら違うということもあります。
海外に移住してみたい方。
行ってみてダメなら、最悪日本に帰ればいい。その気持ちでやってみてください。
やってみないとわからないです!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!
興味のある事、質問やお悩みなど気軽に聞きますので、相談してください^ ^
コメントいただけたらとっても嬉しいです♪
Merci beaucoup! (ありがとうございました)
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