現地の人とうまく打ち解けられるか不安。人見知りな性格だから海外移住なんて向いていない。
好きなことを貫きたいけれど、なかなか行動に移せない。
そんな悩みを持つ方に向けて、前回に引き続きカリフォルニア在住20年のマサさんにインタビューしました。
前編では、1冊のスケートボード雑誌との出会いから移住、大工としてのキャリア、51歳での持ち家購入までをお伝えしました。
今回の後編では、20年間で築いてきた現地コミュニティとの繋がり方、そして人見知りだったというマサさんがどうやって行動を積み重ねてきたのか、その原動力に迫ります。
憧れのサーファー、トム・カレンとの偶然の遭遇
マサさんが見せてくれた1枚の写真は、現地のサーフショップの裏駐車場で撮られたものでした。
サーフィンビデオのプレミア上映会が開かれていた場所で、友人に連れられてたまたま訪れたそうです。
そこにいたのは、3度の世界チャンピオンに輝いたカリフォルニア出身のサーファー、トム・カレンさんでした。
マサさんにとって長年の憧れだった人物です。
「スポンサーのリップカールが作ったビデオのプレミアで、友達が現地で連れて行ってくれて、たまたま会った感じですね」
とマサさんは振り返ります。
この場には、後に東京オリンピックで銀メダルを獲得することになるカノア・イガラ選手も、まだ幼い子どもとして家族と一緒に来ていたそうです。
当時は気にも留めなかった出会いが、今振り返ると感慨深いエピソードとして残っています。
2007年から続くスケートボードコミュニティ 週5〜6日を共にした仲間たち
マサさんが現在も所属しているスケートボードコミュニティに加わったのは2007年のことです。
もう20年近く、同じ仲間たちとの交流が続いています。
コミュニティの中心人物からはグループメッセージで
「今日はどこどこで何時からスケートボードする」
といった連絡がほぼ毎日届き、多いときには週に5〜6日集まって滑っていたといいます。
写真の1枚は、もともと通っていたオリジナルのスケートパークのメンバーが集まったリユニオン、いわば同窓会のような集まりの様子でした。
別の写真には、友人の家の裏庭にある小さなスケートランプも写っています。
サーファーである友人が練習用に作ったもので、渡米10年の記念セッションをここで開いたそうです。
2ヶ月に1回ほどポットラック形式のバーベキューをしながらスケートボードを楽しむ、人種もさまざまな仲間が集まる場所でした。オーナーが亡くなり、メンバーもそれぞれ引っ越して、今ではそのランプ自体がなくなってしまったといいます。
詳細の写真については、Youtubeインタビュー動画をご覧ください。
【後編】「好き」を貫いた人生。スケボーがつないだアメリカ生活
「趣味は第二言語」 スキルが繋いだ現地コミュニティとの絆
スケートボードを通じた交流について、マサさんは「会話をしている間にも語学の向上につながったし、現地の人ともしょっちゅう会えて、いいことだらけでした」と話します。
この経験から生まれたのが、海外に行きたい人へのアドバイスです。
「何か自分のスキルを持っていった方が、言葉の代わりになるんです。最初は言葉を喋れなくても、それを通して人とコミュニケーションができるようになる」
とマサさんは語ります。
自分が好きなこと、極めていることを持っていくこと。
ただ観光に行くのではなく、現地の人と交流する軸を持つこと。
マサさんはこれを「趣味は第二言語みたいなもの」と表現しました。
人見知りで人と話すのが苦手 それでも現地に飛び込めた理由
意外なことに、マサさんは自分自身を
「人見知りで、人と話すのがすごい苦手」
だと語ります。
日本では20歳から大工として働き、ずっと材木という「物」と向き合う仕事をしてきたため、人とのコミュニケーションは元来得意ではなかったそうです。
本当に打ち解けられるのは昔からの知り合いだけで、新しい人には取っつきにくいタイプだと自己分析しています。
それでもアメリカでは、現地の人たちのコミュニティに自ら飛び込んでいきました。
マサさんが挙げるのは、車を持っていなかった友人をあちこち車で送り迎えしたエピソードです。
その友人は色々な人を紹介してくれる存在になり、マサさんいわく「自分の世界を変えてくれた人」になったといいます。
写真に写るコミュニティの仲間たちは、そのほとんどが現地の人ばかりで、日本人はマサさん一人だったそうです。
「なるべく現地の人、現地の人というふうに」意識してコミュニティを選んできた結果でした。
15年言い続けてアメリカへ、5年言い続けて家を買う
人見知りな性格でありながら、なぜここまで行動に移せたのか。
その答えは「言い続けること」にあるとマサさんは明かします。
20代の頃、友人たちが海外旅行から帰って「楽しかった」と話すのを聞くたびに、マサさんは「自分は旅行じゃなくて、行って住んでやる」と思っていたそうです。
そこから実際にアメリカへ移住するまでには15年かかりました。
その間、マサさんは友人や家族に「アメリカに行くから」と言い続けました。
「そうすると周りもいろんな情報をくれたり、サポートしてくれる人が増えてきたりして、周りが変わってくるんです」。
家を購入したときも同じで、5年間「家を買うから」と言い続けた末に実現させたといいます。
「本当にそれが幸せなのかって自分でイメージした時に、アメリカに行かなかった自分はすごい惨めで可哀想だった」。
将来への後悔を具体的に思い描くことが、言い続ける原動力になっていたようです。
20年経って見えた景色 「人生はいい方にしか変わっていない」
海外移住を振り返って、マサさんは「人生はいい方にしか変わっていない」と即答します。
もちろん大変な時期もありましたが、好きなことをやるために来ているという実感が、日本で仕事中心の生活を送っていた頃とは比べ物にならない濃さの日々につながっているといいます。
現在はYouTubeでの発信を中心に、地元のスケートボードコミュニティを取材する活動を続けながら、日本からスケートボードをしにアメリカを訪れたい人向けのツアー企画も始めています。
20年かけて築いてきた現地とのつながりを生かし、地元の人の家の裏庭まで案内できるのはマサさんならではの強みです。
言い続けることで周りを変え、夢を実現させてきたマサさん。その歩みは、なかなか行動に踏み出せずにいる人の背中を押してくれるはずです。
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