皆さんに夢はありますか?
私は小さい頃にマザーテレサの絵本を読んだときから、なんとなく将来は海外で過ごそうという夢が生まれました。
日本の社会の中でさまざまな仕事を経験しました。
接客業に携わる仕事が好きで人に接する機会が多く、たくさんの方の価値観に触れることが何よりも楽しく私の世界を輝かせてくれました。
成田空港の近辺に住んでいたこともあり海外の方に触れ合うことが多い生活を送っていました。
その中で、もっといろんな人の価値観に触れたい。
笑顔に触れたい。
という思いが強くなり海外に住むことを本格的に考え出しました。
29歳という年齢で英語も中学生レベル。
更に貯金も40万弱しかなかった私でも海外に挑戦出来たのでひとりでも多くの方が自分に自信をもち挑戦するきっかけになればと思い私の経験を紹介させていただきます。
29歳の私の選択肢
まず私はどのように海外に住むことができるのかを調べることからはじめました。
調べていくと主に、観光で数ヶ月過ごす、現地の学生になる、日本の企業で海外派遣のある仕事に就くなどいろいろな方法が出てきました。
その中でワーキングホリデーという制度を知りました。
日本人は30歳まで1回のみ、決められた国で自由に働くことのできる制度です。
私はちょうど29歳の年だったのでラストチャンスだと思いワーキングホリデーを申請することに決めました。
ワーキングホリデー
私は正直カナダという国をあまり知りませんでした。
たまたま友達が住んでいたのでバンクーバーに決めました。
正直国にそんなにこだわりはなく、できるだけ多くの国の人に会う!という気持ちが一番強かったです。
しかし、バンクーバーに住んでみると、街中で“あなたのメイクや服装可愛いね”“おはよう!すごくいい天気だね”など知らない人同士がお互いを褒め合ったり助け合う文化に触れ合うことができ、この国を選んだことがとても嬉しくなり、前向きになることができました。
ビザの申請自体も難しくはなく、インターネットで調べ自分で申請出来ました。
バンクーバーに到着したときは大きな空港に圧倒され、当たり前ですが英語やフランス語、中国語やスペイン語などさまざまな国の言葉が聞こえ、表記されているさまざまな国の文字を見てわくわくと同時に不安に襲われました。
何度も調べたはずの入国検査の英語もすっかり飛んでしまうほど頭が真っ白になりました。
しかし無事入国することが出来、バンクーバーの街に出た瞬間、新しい扉がひらいた感覚がありました。
感覚的ではありますが全てがキラキラして見えたのです。
シェアハウスや仕事など生活に必要な情報は基本的にインターネットで探しました。
初めてのシェアハウスや、海外での仕事は楽しいことだけではありませんでした。
自分の常識では考えられないことが、当たり前に毎日起こるのです。
慣れるまではかなりきつかったですが、人を受け入れること、自分の価値観が必ずしも正解ではないことを知るかけがえのない成長の場になりました。
カナダで最初の仕事
私が最初にした仕事は日本食レストランのサーバーでした。
いわゆるウエイトレスです。
英語がとにかく苦手な私は日本人のスタッフのいる環境を選びました。
日本人以外は台湾人、フィリピン人などがいました。
働いてみると、英語が伝わらないことよりも、理解しようとしてくれる他の国の方の姿勢に驚き、感動しました。
“英語ができなくてごめんね”というと“大丈夫!あなたの英語は上手だよ。
私はこんにちはしか日本語を知らないから本当にすごいと思う”“謝る必要ないよ!下手なんじゃなくて第二言語なんだからいいんだよ”などの言葉が私に自信をくれました。
日本にいて日本語だけで過ごしていたら巡り会えなかった価値観です。
休みの日はみんなでご飯を食べたり、遊びに出かけたりとても楽しく過ごすことが出来ました。
チップが毎日もらえて、まかないもあった為、物価の高いバンクーバーで貯金の少ない私はかなり助けられました。
滞在許可をワークビザへ
ビザが切れる3ヶ月前、帰国するか残るかを考えました。
バンクーバー生活をふりかえると当たり前のように毎日、前向きに生きている自分に気が付きました。
みんなが違うことが当たり前でそれを前向きに受け止めるという文化は私には魅力的すぎたのです。
どうしても帰りたくないという気持ちが強くワークビザという就労ビザをだしてくれるところを探し、ありがたいことに日本食レストランでビザを出していただくことが出来ました。
もしみなさんがワークビザを考える場合は半年ビザが残っている状態での職場探しをおすすめします。
私は本当にたまたま出してもらえましたが、ほとんどの企業はお互いの相性を確認する上でも条件にビザの残り期間を半年と設けているところが多いです。
辛かったときの乗り越え方
ビザをいただいたお店は個人経営のようなお店だったのでサーバーを1人で行う時間が多かったです。
英語が不慣れな私はオーダーを間違えることを避けたかったので何度も何度もオーダーを確認しました。
もちろんネイティブの方だけではないので私達と同じように英語が第二言語ではない方も多いです。
毎日毎日、聞き返したり、英語を話すことで失敗を恐れて辛かった時もありましたが、間違いなく英語力の上達に役立ちました。
サービスをするうえで英語ができることに越したことはないですが、英語が辛いときや自信がないときは人間性を見ようとしてくれるカナダの方を信じてみてください。
笑顔で明るくいることが何よりのコミュニケーションです。
英語が怖くてお客様に会うことが怖い日もありましたが、結局助けてくれるのもお客様です。
頑張っていれば必ず無駄にはなりません。
辛いときは挑戦している自分や挑戦しようとしている自分を褒めてあげてください。
Meet up
仕事にも慣れてきた頃、友達をつくる機会がないという日本人の学生さんに会うことがとても多いことに気が付きました。
私は飲食店で働いているので、彼らに出会いの場を提供できるかもしれないと考えいろんなお客様にお声掛けし、Meetupというイベントを定期的に開催することが出来ました。
私にとっても大切な方たちと出会えたイベントなので本当に開催できたことを感謝しています。
せっかく海外に来ているのだから日本人とはなるべく話さないようにしようと決める人もいますが私は家や仕事を見つける中でも友達を増やすことは国籍関係なくとても大切なことだと感じました。
日本人と一緒にいるから日本人としか知り合えないわけではありません。
たくさんの国の方と知り合い、たくさんの経験をする機会を増やすためにも国籍で関わり方を変えることはおすすめしません。
世界的なパンデミックに
働き始めて約2年後。世界的なパンデミック、新型コロナが起こりました。
飲食店だった私の職場も打撃を受けました。
私は日本に帰国せざるを得なくなりました。
帰国している間もバンクーバーに戻ることだけを考え日本で働きました。
コープビザを申請することに決め
ワーキングホリデーを使ってしまっている私は次に戻るときは永住権まで視野に入れようと考えました。
その結果、半分学生期間、残りをフルタイムで働くことのできるコープビザを申請することに決めました。
子供が好きで、さまざまな価値観の中で育てる環境にとても興味があり幼児教育を学ぶことにしました。
初めて現地の専門学校に通いましたが、専門用語が飛び交い8時間英語で受ける授業や宿題の量にとても苦労しました。
私はほとんどを日本からオンラインで授業を受けましたが時差と英語でのグループ課題など決して楽ではありませんでした。
ファミリー
ついにバンクーバーに戻ることが出来、さっそく仕事を探すことになりました。
日本では珍しいかもしれませんがカナダではフェイスブックで仕事や家を探すことが出来ます。
私も縁がありとてもいいファミリーに出会うことが出来ました。
面接の時から“就労ビザを獲得して永住権の獲得を目指しています”とお伝えしました。
日本語を子供に教えたいファミリーは多く、日本人のシッターは需要が高いと思います。
私は日本でベビーシッターの仕事を半年ほど経験しただけなのでシッターとしての経験値が高いとは決して言えません。
しかし不安なことは必ず確認し自分のできる範囲のことを一生懸命行えば必ず認めてもらえます。
今はこのファミリーと就労ビザを目指して協力していただいています。
カナダでの生活
年齢を気にしたり英語が話せないことへの不安。
海外での生活は分からないことばかりでもちろん不安だと思います。
しかし人と人との出会いを大切にしていけば必ず仕事や家が見つかり出会いの場を増やすことで楽しくなり、不安もなくなります。
完璧である必要は全くありません。カナダでは自分のやりたいことを応援してくれる人がたくさんいます。
少しでもいいです。興味があるのであれば必ず道は開けていくので皆様も一緒に素晴らしい経験に期待しキラキラする人生を送っていただければと思います。
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