在住歴30年以上。シンガポールの急成長と共に現地で生き抜いてきた私が強く感じること

※この記事はせかいじゅうサロンの「海外在住者ピックアップ」企画で、紹介された内容です。

シンガポール在住のさちこです。

長くシンガポールにに住んでおり、自分はローカルだと認識しております。

シンガポールの急成長を30年を超えて身をもって体験しました。

日系企業に属しておらず、日本人の上司や同僚をもったこともありません。

日本語を活かしたり日本人であるメリットがある仕事ではないので、ローカル路線で、ローカルの視線で生きております。

日系コミュニティの大きい当地では、駐在員の方はローカルをほとんど知らず、あまり関わらずにとも日本人コミュニティの中で生活が成り立ちます。日本語だけでも生活できる数少ない外国です。

欧米系投資銀行、地場ヘッジファンドを経て現在は地場の大手不動産会社のエージェントをしております。

仕事柄 地元のシンガポールのお客さんを始め、西洋人や他のアジア系 いろいろな民族や考え方の違うお客様同士の間を取り次ぐお仕事です。日本人のお客様ももちろんいますが日本人に特化しているわけではありません。

多くの方が知っているシンガポールを別の立場ローカル視線でみたこの国のことについて書いてみました。

マレー人を中心にイスラム教徒が3割ほどいます。イス ラム金融も引き寄せています。

マレー人を中心にイスラム教徒が3割ほどいます。
イスラム金融も引き寄せています。

初めてのシンガポール

初めて来星したのは1980年代。

途上国から先進国へとスピード成長を遂げたシンガポールと30年を超えて一緒に成長しました。

80年代といえば日本のバブル黄金期

目覚ましい経済成長を遂げ、世界を走り回ったジャパンマネーの時代。

初めてシンガポールにやってきたとき、日本はアジアの一大経済大国の時代で、中国もインドもまだまだ眠る途上国。

世界経済の中心はニューヨーク、ロンドン、そして東京でした。

なにもないシンガポールが資源大国マレーシア連邦から離脱独立し、成人を迎えたころです。

現在のBRICSのような立場で香港 台湾、韓国とシンガポールは合わせて新興工業国Newly Industrialized Countries (NICs)と呼ばれていました。

その中でもちょっと金融や貿易の進んだ香港、製造業を育てていた韓国、台湾に対してアジアの田舎者(ダサい)とバカにされいたころをご存知の方は少ないかもしれません。

台湾に出張に行ったとき、シンガポールをバカにする話が出て腹を立てたのを覚えています。

洗練されて綺麗になったのはつい最近のことなのです。

私が来た当初、地下鉄はなく、バスもエアコンなしが主流でした。

エアコンは贅沢品で一般家庭はエアコンなしが当たり前。

お誕生日はマクドナルドで祝ってもらいました。なぜならエアコンがあった場所だから。

スタバなどない時代でしたからでコーヒーを飲むためにはホテルに行かないとならない時代。

ローカルのもろこし粉入りのコーヒーは安いですが、まずくて遠慮しています。

牛乳もまずい粉乳や練乳、ヨーグルトなど一般的なスーパーにはありませんでした。

生鮮食料品はウェットマーケット市場で買うものであったので、エアコン入りのスーパーの数も今ほど多くはありませんでした。

市場で豚のピンクの皮つき肉を買ってとんかつ作っていました。

⑩日系スーパーは伊勢丹、明治屋、ドンキがあちこちにあって、日本と全く変わらない食生活ができます。ドンキの多くは地下鉄の駅上にあり大変便利です。

日系スーパーは伊勢丹、明治屋、ドンキがあちこちにあって、日本と全く変わらない食生活ができます。
ドンキの多くは地下鉄の駅上にあり大変便利です。


どーんと途上国生活だったのです。

ローカルの収入は低く、デパ地下大丸の日本スーパーはお金持ちの日本人駐在員専用のような有様で、「日本人はお金持ち」というイメージが出来上がっておりました。

広いプールつきコンドミニアムにメイドさんを雇う駐在員天国の時代です。

日本の国力とともに駐在員の相対的な収入が下がり、現在は日本人多くはお安いドンキへ、明治屋はシンガポール人の客が目につきます。

当時ダサいシンガポール人は短パンによれよれシャツ、ゴムぞおりでオーチャード(銀座に相当)闊歩しておりました。

ファッションに疎かった時代でした。

高島屋や伊勢丹スコッツができる前のことです。

服は日本に一時帰国したときに大量買いしていました。

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シンガポール大学での苦しみの日々

若かった私はとにかく海外へ出ることを夢見ていました。

私が大学生であった頃は雇用均等法の前で、大学卒の女子大生はㅤ事務職(まあいわばお茶くみ)社員のお嫁さん候補女性は家庭に入ってこそ幸せという昭和の価値観でしたので、四大を卒業すると女性は就職難、女子短大が花道と周囲も両親も 本人以外はそう考えていた時代です。

当時はシンガポールの大学進学率は5%ほどでシンガポール国立大学一つが唯一の大学でした。

国の将来を背負うトップエリートたちが競って学んでいる大学に、日本脱出が念願の英語もたどたどしい私が混ざったのですから、いかに授業についていくのが大変であったかご想像ください。

教授や講師たちのなまりの強い英語が全く聞き取れずパキスタンなまり、中国語なまり、マレーなまり小型録音機を授業に持ち込み 毎夜ノートをつくり、レポート提出前は泣きながら夜どうし課題に取り組んでいました。

そのおかげか今ではいろいろな訛りの英語聞き取れます。

次の授業までに読んでいかなくてはいけない本は図書館参考図書コーナーに数冊しかおかれていなく、授業が終わった後、競争で図書室に走り借りたクラスメートからまたがりでコピーを取る...パソコンなどない時代ですから、速記の達者な同級生にノートを借りても速記が読めず、なみだ なみだの 苦しい 大学生活でした。

あんなに学生が勉強するなんて驚きました。

朝から晩まで図書館、廊下やベンチでもみんな勉強。

一生のうちで一番勉強した時期となりました。日本は受験勉強だってあんなにやりません。

留学は私の考え方や人生の生き方に大きな影響を与えました。

男女同権のシンガポールに引っ越したい!

自分の可能性をもっと試したい!お嫁さんになることが幸せと思えない!

お金もコネもない私はシンガポールへの引っ越し資金をためるために一度帰国して就職することにしました。

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日本で就職。そしてシンガポールへ

住居費が突発して高いシンガポール

当時から外国人が住めるコンドミニアムは高家賃。

是非高給取りになり 駐在員として横滑りしたいというもくろみのもと東京で外銀に就職しました。女性も総合職として採用していた外資系企業を狙いました。

アジアの金融センターを目指していたシンガポールでしたので、金融であれば就職口がみつかるかと期待してのことです。

もしかしたらシンガポール支店に転勤にならないかな?駐在費用つきで!

などと人生に甘い若い私は考えたのです。

ある日香港のファンドマネージャーの客からお声がかかりました。シンガポールの銀行にヘッドハントされてチームをつくることになった。一緒に働かないか?

即答でYES! 飛行機に乗り週末を利用して特攻面接へ。

そして採用されました。

かなりジュニアなポジション。

円高だった当時からするとかなりの減給。

おそらく採用する側は 安いのでダメだったら首にすればよい。そういう考えだったと思います。シニアの採用には飛行機代を負担したり管理職が何人も面会するということは 後で知りました。

わたしは食堂で現場責任者と5分顔合わせただけ。てっきり落ちたと思ったのです

が、採用でした。

目的は移住であったので、クビになったら転職探そうなどと 若い人の考えは甘く軽い 我ながら驚きますね!

今ならしり込みするかもしれない厳しいお仕事でしたので。そして再びシンガポールへ戻ることになりました。ㅤ

シンガポールでの最初の仕事

欧米一流大学卒やMBA 優秀な人材がひしめく欧米の銀行

ディーリングルームへ着地した若い日本の女性。

日本の会社ではないので 日本語は使いません。

それもディーリングルーム唯一の女性トレーダーでした。

日本にいたら絶対任せてもらえない大役大抜擢、何十億円も動かすプレッシャーの高い仕事でした。

ミッキーマウスマーケットと呼ばれる新興アジア市場でしたから、経験者などおらず、誰も知らないブラックボックス

儲けるしかない!

失敗したら即解雇です

だれも頼れない、誰にも聞けない、誰も信用できない

そんなポジションでした

上役からの指示はただ

Your Job is to Make Money.
「もうけを出すのがお前の役目だ」

たったそれだけで パソコン1台と電話もらっただけ。

英語の討論では優秀なMBAと渡り合えなくても

会社の評価はP&L損益$でしたので

お金は雄弁!

儲けだけだしていれば 人種も性別も年齢も問われませんでした。

欧米銀行のシンガポール支店で香港や台湾の株式を運用してるのがたまたま日本人の私であったわけで、日本人ではなくても良いポジションでしたし、日本語も日本の知識も必要なし。

いままで東京でやってきたことが役に立つわけでもありません。

同僚は香港、マレーシアチャイニーズ、アメリカ人、ヨーロッパ人それにシンガポーリアン ときどきインド人でした。

日本は上司が責任を負い、会社が責任を負いますが、

全ての責任は担当者一人の責任。

失敗すればすぐ解雇。

会社の規定を破っていたら、告訴や裁判になることもあると思います。

こちらの人はとてもフレンドリーと思えるのですが、日本人に対しとてもやさしく親切なのはお客さんの立場にあるからです。

途上国からすごいスピードで駆け上がってきた、だしぬけ、何をしても勝ち抜け精神は今でもシンガポールのローカル社会では一般的。

それが当たり前なので、日本のような相手に誠意をもって接するという バカ丁寧バカ真面目な関係を期待するのは間違えかもしれません。

大学生活ではシンガポールのお友達は皆優しくて、親切だと思っていましたが、

実社会では足の引っ張り合いや、騙しあいは日常茶飯事、レポートを故意にシュレッダーにかけられたこともあります。

中国語でささやかれる同僚たちによる私への妬みや悪口。

成功者は妬まれるのはどこの社会でも一緒。花形ポジションを英語も下手で プリゼンも下手な日本人の女の子がやっているのですから、いちばん攻撃しやすい対象だったのでしょう。

これが日本人客むけセールスとかですとライバルになりえないのですが、

なんで日本人にやらせるのか? 中国語も話せないのに?という嫉妬はシンガポールオフィスを超えて香港や台湾オフィスまであったようです。

めったにいない日本人、それも若い女性だったので銀行の各国支店でも目立った存在だったのかもしれません。

東京NYロンドン以外で日本人が大役背負うことがそれほど珍しいことだったのです。

周囲の目は厳しくうっかり休暇などとると何をされるかわからない、

うしろからグサッとやられかねない緊迫感がありました。。

自分を守るのは収益だけ。稼ぐだけしかない。

お金を稼ぐ才能があったようで、昇進に次ぐ昇進を続けました。

今思うと引き寄せ能力があったんですね。知らなかっただけで。

外国人価格を支払い、外国人社会で生きているとシンガポーリアンは親切に思えますが、ライバルや競合相手にはかなりえげつないということを身をもって学びました。

ビジネス街のフードコート。世界各国からいろいろな 人や料理が集まっています。人種のるつぼです。多民族国家で民族同士の争いが少ないのは大変珍しいと思います。写真はサーキットブレーカー(ロックダウン)前のものです。

ビジネス街のフードコート。世界各国からいろいろな
人や料理が集まっています。人種のるつぼです。多民族国家で民族同士の争いが少ないのは大変珍しいと思います。
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シンガポールのド・ローカルへ

今ではシンガポーリアンとどうやって接していけばよいのかわかるようになり、心を開いて付き合えるお友達もたくさんいます。

日本人とは表面でしかお付き合いがないらしく、ド・ローカルのお仕事をしている現在、出会う人ごとに驚かれます。

「あなたの話す内容がわかる、これだけローカルと同じ立場で話せる日本人に出会ったことがない。」

仲間に入れていただけるようになり、肩の力を抜いてお仕事できるようになりました。

今思うと肩肘張り過ぎていた若いころでした。

ほとんどの日本人の方が駐在員や ご家族のビジネスでこちらにいる方、もしくは日系のサービスを日本人向けに行う方々で子供は日本人学校かインター。

日本人と外国人駐在員の世界で暮らしており、長年住んでいてもローカルの社会を身をもって知っている方は少ないかもしれません。

帰国後10年もすると、シンガポールにはだれも知り合いがいない、市場の八百屋さんだけだった!という話はよく聞きます。

シンガポールの現在とこれから。そして海外就職を目指す方へ


今自分の若いころを振り返るとかなりハチャメチャでリスクテイカーだったと思います。

若いころは失うものもあまりないので いちかばちか賭けてもよいかもしれません。

失敗してもまたもとに戻るだけ。

今時の日本の若者は安全志向が強いかな?と感じます。

時々若いお嬢さんにさちこさんみたいになりたい!どうすればなれますか?と聞かれたり、シンガポールでお仕事されるの羨ましい!と言われることがあります。

そんなきれいな国に住んでみたい!

そうですか?わたしが来た頃は臭い、汚い、暑いところでした。

私があなたのように若くかわいいお嬢さんになりたいと言っても無理なように

誰かの真似をしても(日本人はこれが大好きです。あの人がやったんだから私もできるみたいな右にならえ信仰)

時代や状況が異なっておりますし、個々の能力は全員違うのですから、 同じことをしても同じ結果にならないです。

きっと自分に合った自分なりのやり方で上手くいく道が見つかります!

リスクをとってもやってみることです。

とくに子供の学費や移動に制限がでる前の若いうちに失敗したらやり直せるうちにやってみたらよいと思います。

それが私から言えるアドバイスです。

シンガポールがここまで早く日本を追い越し先進国入りするなどと夢にも思っておりませんでした。

建国の父リー首相の息子さんの現リー首相の時代になり、加速して変容しています。

「明るい北朝鮮」と時々呼ぶ日本人の方がいたりしますが、かなり時代遅れの情報です。

シンガポールはものすごい勢いで変わっているので20年も前の話は今では当てはまりません。

現リー首相はフェイスブックもやっていますし、国民の反応はネットで飛び交っています。

集団の利が個人の利にまさるという基本は同じですが、国民の意見に耳を傾けています。

イギリス植民地時代のコロニアルの建築。旧郵便局は今では高級ホテルです。

イギリス植民地時代のコロニアルの建築。
旧郵便局は今では高級ホテルです。


私は頑張って大儲けをしようと考えて仕事をしたのでもありません。

一生懸命自分の仕事をしたら結果が付いてきた、気が付いたらまたシンガポールにいた、それだけです。

日本に帰国することもできますし、別な国へ行くこともあるかもしれません。

80年代には380万人であった人口ですが、政府が550万人に増やすと発表した時は笑いました。

あり得ない。

しかし今シンガポールは560万人居住者がいます。

国の人口白書計画ですと2030年までに人口を650万人に増やす計画になっています。

現在はコロナで外国人採用政策を反転して国民優先政策に切り替わっておりますが、また外国人を入れることは確実です。あと100万人!

若い方チャンスですよ!

シンガポールの居住権を欲しがる外国人はあとを絶たず、ビザが下りる給料水準が毎年上がっています。

貧乏な外国人はいらないというメッセージは明確。

シンガポールの国にお役に立つ人材にビザを出すのもはっきりしています。

40歳を超えた人がよほどのお金持ちでない限り永住権取得は難しいでしょう。

大金を投資して会社をつくりエンプロイメントパスを取得するという手はありますが、全ての人ができることでもありません。

IT関連やバイオ関連は現地採用でも給与が高いので、チャンスはあると思います。

ビザの発行基準は いかにシンガポールに貢献できるか?が要であって

外国人がシンガポールで老後引退生活を送りたいという外国人の意図はシンガポール政府の方針と相いれないと思われます。

どこの国でもそうだと思いますが、自国の老人対策で大変な中、外国人の老人まで面倒みてくれる余裕のある国は少ないと思います。

今はお金払えばビザがでても将来政策が変われば、政権が変われば外国籍老人はどうなるのか?

家族一緒で移住でなければ年寄りだけの海外暮らしは移住というより長期海外滞在という言葉が適しているのかな?

そう思っています。

数年前からワーキングホリデーで働けることになったので、住居が手当てできれば利用してみるのもよいかもしれません。

住宅費だけで給料を上回るケースが多く、ネックは高い住居費です。

国民の8割は公団住宅に住んでいます。 結婚して数年は親と一緒に住むのが一般的です。 政府から多くの補助金が出ています。国民の特権。

国民の8割は公団住宅に住んでいます。
結婚して数年は親と一緒に住むのが一般的です。
政府から多くの補助金が出ています。国民の特権。

経済と政策によって外国人のビザ方針はくるくる変わるのでご自分で調べてくださいね。

なんでも自分でやる。安易に他人に尋ねないことが第一歩。

インドネシア中華系、ヨーロッパ系、インド人、中国人、韓国人、香港人

最近ではベトナムや台湾の富裕層もこぞってシンガポール永住権を狙っています。

アジア圏、イスラム圏、安全、安定、英語という条件の国は香港が中国支配が強まった今ではシンガポールしかないからです。

永住権申し込みの年齢制限を超えている親は、子供をシンガポールの学校に通わせ、まずは子供が永住権取得、数年後に国籍取得、そして親を呼び寄せるのが一般的。

日本人にはめったにないパターンですが ほかの国の人たちはこのような手段をとっています。

日本人は駐在員社会の中で日本と同じ生活を送っている方が多く、日本人学校、ちょこっとインターお試し程度の方が主流だと思います。

帰国子女入試に有利だからくらいの方がメインでこどもに国籍をとらせようと考える方は少ないです。

インターもシンガポールに浮いた外人コミュニティですのでローカルの世界とはかけ離れた別世界です。

余談ですが、私はシンガポールの友人に「もう国籍取った?」とよく聞かれます。

こちらでは長期滞在の外国人、インドネシア人や中国人、隣国マレーシア出身の中華系、インド、ベトナムその他数々の国籍の人が永住権を取った数年後に 国籍をとることが一般的だからです。

私ほど長くいたらシンガポールパスポートは当たり前と思われています。

「まだ日本語話せるの?」と聞かれることもあります。

シンガポールの教育事情

シンガポールの学校の教育水準は非常に高く、幼稚園で漢字で絵日記、足し算掛け算ぐらいは当然。

外国人枠の限られたローカルの小学校に入学するのは至難です。

中国語も外国人には難関。

お受験塾が流行っているのはそのためです。

こちらで教育すれば英語と中国語バイリンガルになりますので親も必死です。

韓国や中国、インドから留学ママさんが子連れ留学は珍しくなく、韓国ではおじいちゃんおばあちゃんが土地を売って孫のための資金をつくるとか。

日本人にはありえないほどの教育熱ですね。

インターナショナルスクールはたくさんありますが、授業料は年間300万円前後と高額です。

こども2人12年間通わせることができる家庭 日本人は少ないですが、会社払いでなく個人払いの生徒さんの割合が増えているとのことです。お金持ち多いんですね。

学費を下げようと国境を渡りマレーシアのインターナショナルスクールにバスで通うという手もありましたが、

コロナによって両側で2週間隔離が求められる今は難しい選択です。

インターナショナルスクールに通わせたくないご家庭は親戚の家に預けて子供だけ幼いころから留学させます。

とくに社会的地位の不安定なインドネシアの華僑多いですね。

預けるご家庭がローカルでないと難しいので日本人にはないパターンです。

マレーシアチャイニーズはコロナ前は毎朝バスで国境を超えて通学していましたが、隔離で往来できない現在、国境沿いの街に住宅を借りて住んでいます。

橋向に見えるマレーシアのジョホールですが、国が違えば隔離政策も違うので 高いシンガポールの住居費が負担になっています。

アジア諸国の教育熱の高さ、かけるお金と労力を見るとせっかくこちらに住んでいながら日本人学校に通い、学校からまっすぐ日系学習塾に通う日本人の子弟は大変なチャンスを無駄にしている!

そのように思えてしまいます。

高い住居費会社持ち、ローカルと交流する機会に恵まれながら 帰国の日のために生きているのはもったいない!

そう思う私はすでに日本人の域を超えているのかもしれません。

普通の日本人と違うローカル視点のシンガポールのお話しさせていただきました。

長くなりましたので不動産については別な機会しますね。

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