日本から一番遠い場所、南米大陸の真ん中にある国ボリビア。
現在、ウユニ塩湖や世界一標高の高い場所にある首都ラパスなどで、日本でも注目されつつある国です。
4000mを超える山岳地帯に暮らす人々、年中涼しい2000m級の高地に住む人々、そして、アマゾンの熱帯地帯、ジャングルに暮らす人々。
日本の三倍とも言われるボリビアの国土に住む人々は文化や習慣も多様性に満ちています。
ボリビア第三の都市コチャバンバ
そんなボリビアのほぼ真ん中に位置する都市、コチャバンバがあります。
この都市はボリビアの中でも第三番目の都市とも言われていて、年々発展しています。
標高は2600mの所にこの都市はあり、気候は年中を通して温暖であることが特徴です。
フルーツや野菜の栽培が盛んにおこなわれる場所で、ボリビア国内に野菜を出荷している場所ということでも有名です。
のどかな美しい町を襲った悲劇
そんなボリビアの山岳地帯の文化が残り、人も優しく、のどかで美しい町コチャバンバ。
外国人が旅行で訪れて、気に入り住み着くというケースもよく聞きます。
日系人の方も多く住んでいるという情報もあります。
そんな町、コチャバンバにはある悲しい歴史があります。それは、コチャバンバ水紛争として人々の記憶に今でも刻まれています。
コチャバンバの水戦争の始まりとは?
そんな穏やかな美しい町、コチャバンバをある悲劇が襲います。
それは今日に至るまで、コチャバンバ水紛争として知られています。
また、ボリビアで起こった水戦争として世界中に知れ渡りました。
事の始まりは1990年代の終わりごろ、コチャバンバにおいて水道事業を展開していたコチャバンバ市営水道局(SEMAPA)が公営ではなく民営化されたことにあります。
コチャバンバは1960年代より人口が急激に増加し始め、SEMAPAの水道サービスでは市民の水道の必要を賄えない事態が発生しました。
急激な人口の増加により、市内より少し離れた地域などに水道設備を新たに設置することができず、水道設備の老朽化や漏水といった問題を修復することができず、その水道サービスにおいて大きな問題を抱えていました。
特に乾季の時期には水道水の供給は当然難しく、町中で断水が見られる状況でした。
大きな負債を抱え、なおかつコチャバンバ市民の50%ほどしかこのSEMAPAの適切なサービスを受けることができないという事態が生じました。
特に市内から離れた田舎の集落などは自分たちで井戸を掘って飲み水を確保していたそうです。
私たちの生活で決して欠かすことのできない、水道水というサービスが公営事業でまかないきれない、そんな問題がコチャバンバにはありました。
公営事業SEMAPAの民営化!始まる水戦争
その状況を見かねたボリビア政府は世界銀行に対して、コチャバンバの水道サービスに対する融資を求めます。
そして、世界銀行はコチャバンバの市営水道局、SEMAPAを民営化すること、つまりその水道サービスを一般企業に委託するようにという条件を出しました。
そして、そのサービスの経費は水道受給者が負担するというものでした。
1999年、ボリビア政府は世界銀行のこの提案を受け入れ、コチャバンバ市営水道局、SEMAPAを民営化することを決定しました。
そして、その経営権はアメリカの大手建設会社ベクテル社の子会社にあたるトゥナリ社に委託されることになったのです。
これが、ボリビアの都市、コチャバンバにおける水戦争の始まりでした。
引き上げられた水道料金、市民の怒りが爆発!
トゥナリ社にコチャバンバの公営水道サービスが委託されてからすぐに、市民が支払う水道料金は倍以上に跳ね上がりました。
トゥナリ社は水不足に悩まされるコチャバンバの水確保のためのダム建設の資金を調達することを名目として、水道料金を大幅に値上げしました。
市民の所得に応じての値上げを行いましたが、貧困層に対しては10%程度、しかし富裕層に至ってはその値上げ率が200%に達することもありました。
ボリビアは南米で一番貧しい国とも言われていて、その当時の国民の最低月収が100ドルほどであったにもかかわらず、その値上げによりひと月の水道料金が20ドルを超えるという事態が生じました。
当然、コチャバンバ市民の中で水道料金を支払うことができない家庭が多発しました。
しかし、そうした家庭に対してトゥナリ社は容赦なくサービスを打ち切りました。
市民に安全に提供されるべき飲料水、その水道サービスが外国企業の参入により脅かされ、彼らの提供する高い水道水を飲めない者は、不衛生な水を飲むことを余儀なくされました。
その結果、病気に苦しめられる人々も出てきたのです。
理不尽な水道民営化に対して、コチャバンバ市民の怒りは爆発しました。
水を返せ!ボリビア国民の怒り
人の生活に絶対に欠かすことができないもの、そして安全に届けられるべきものである水が民営化によって、お金を持つ者しか利用できない状態に陥ったコチャバンバ。
当然、市民の怒りは爆発し、民営化から1年後の2000年1月には水と生活を防衛する市民連合が結成されました。
そして、多くの市民によるデモやストライキによりコチャバンバは4日間閉鎖、停止状態となりました。
そして、何百万人のボリビア人がコチャバンバに集結し、政府に対する抗議活動を行い、国民すべてに対する水の権利を主張する、コチャバンバ宣言が行われました。
2000年4月に行われた大々的な抗議活動により、死者9名、重傷者100名が出す事態になり、そして何十人の人がこの抗議に参加したことにより逮捕されました。
このデモ活動を抑えるために軍隊も出動し、ボリビア国内は一時内戦状態になりました。
民営化の撤回と水戦争の終結
ボリビア国民の激しい抗議により、2000年4月10日に民営化は撤回されました。
そして、これまでと同じようにコチャバンバ市営水道局(SEMAPA)に水道サービスが託されることになりました。
そうして、コチャバンバの水紛争は終わりを告げました。
それから時は過ぎ、現在においてコチャバンバでは水道サービスが市民に届けられるようになっています。
もちろん、年間において雨の少ない気候ですので、水不足であることに変わりはありません。
2週間に一度断水があったりしますし、多くの家ではその対策として、家の地下と屋根に大きなタンクを設置して普段から水をためて使うようにして、水不足に対処しています。
外国企業の利益重視のサービスにより、翻弄された町コチャバンバ。
誰もが当たり前のように手にできる、生活に欠かすことのできないその水は、いったい誰のものか本当に考えさせれます。そうした水戦争を乗り越えて、明るく穏やかに暮らすコチャバンバの人々。
この町で起こり、市民が戦い抜いた水戦争を考える時に、蛇口をひねれば当然のように出てくる水の大切さを思い起こさずにはいられません。
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