トルコに興味のある方は、トルコが親日国だということをきっとどこかで読んだり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか?
「いや、トルコの親日は嘘!」と反対される方もいるかもしれませんが、トルコに長く滞在している筆者は今まで数え切れないほど日常的にトルコ人が親日家だと実感する場面がありました。
実際にトルコに来たことがある人はおそらく一度はトルコ人から満面の笑みで
「私は日本人が大好き!」
「日本は素晴らしい!」
と言われたことがあるはずです。
ではなぜトルコの人達がそんなにまで親日家なのか、歴史的背景を踏まえていろいろな側面から検証していきましょう。
歴史というとちょっぴり堅苦しいかもしれませんが、この歴史を知ることによってなぜトルコ人がこんなにまで親日家なのかという事をとても良く理解していただけるはずです。
国民の親日感情の始まりは船の沈没から
トルコと日本の国家間の親交は1873年岩倉使節団の頃から始まっていたようですが、国民が親日感情を抱くようになった注目すべき出来事は、1890年のエルトゥールル号事件でしょう。
オスマントルコ帝国親善使節団一行は明治天皇に謁見するため1890年に日本を訪問。
その帰路、和歌山県串本町沖で一行が乗った船エルトゥールル号が遭難するという悲劇が起こりました。船員500人以上が死亡、わずか69名のみが生存するという大惨事だったのです。
この事故から数週間、村民達が休むことなく懸命な救助活動と手厚い看護をしただけでなく、日本全国からも多くの義援金や物資が運び込まれました。そして至れり尽くせりの介護のあと日本海軍の船で生存者を無事にイスタンブールまで送り届けたのです。
このニュースはまたたく間にトルコ国民に伝わり、遠い日本という国で日本人達がいかにトルコ人を助けてくれたかということが伝説化していく発端となりました。
このエルトゥールル号のお話は内野聖陽さん主演「海難1890」として日本とトルコの合作で映画化されていますので、ぜひご覧ください。
トルコ共和国創設者が明治政府を高評価
トルコ共和国建国の父、そして共和国初代大統領となったムスタファ・ケマル・アタチュルク(注:アタテュルクとも明記されます。)はトルコ人が最も敬愛している人物でトルコでは英雄視されています。
彼はオスマントルコ帝国時代のスルタン制を廃止して世俗主義を導入し、1923年に新しくトルコ共和国を建国したのです。
オスマントルコ帝国とは全く異なる近代国家を作り上げるという偉業に際し、アタチュルクがお手本とした国が日本なのです。
将軍や大名達が治めていた江戸時代を経て明治維新後、明治政府という理想的な近代国家を築き上げた日本の大改革を目標としたのです。
アタチュルクは明治天皇を崇拝していただけでなく、日露戦争で日本が長年トルコを苦しめ続けていたロシアに勝利したことにも強く感銘を受けていました。もちろんエルトゥールル号のこともあり日本に対してとても好感を持っていました。そんなアタチュルクの思想は国民にも多大な影響を与え、日本に対する印象はどんどんと良くなっていったのです。
日本製品の信頼度はナンバーワン
戦後の日本の急成長に尊敬の念
トルコ人は日本の製品はどれも精巧で優れたものであると評価しています。電化製品、車、カメラ、文房具にいたるまでその信頼度はとても高いのです。
第二次世界大戦で敗戦し、全てを失った状態の小さな島国が短期間に急成長し、世界に誇るテクノロジーの最先端を行く国に発展したというのは、トルコ人にとって夢のようなサクセスストーリーなのです。
特に1980年代後半ごろから外国製品がどんどんとトルコに流入し始めると日本製品は別格化されるくらいの高評価を得ていました。
だから日本人は素晴らしい
高品質の日本製品、そしてその商品を作る日本人はとても頭が良く几帳面、しかも働き者で努力家だというイメージがどんどんとトルコ人に定着しているのです。
日本人全員が優秀で完璧であるとは限らないにもかかわらず、トルコ人にとっての典型的日本人はとにかく偉大で何に関しても絶賛に値するという固定観念が根付いているようです。
日本がトルコに資金と技術で貢献
日本ではほとんど知られていませんが、トルコでは日本が果たした下記の3つの偉業は周知のことで、国民は「日本のおかげ」ととても感謝してくれています。
ボスポラス海峡にかかる吊橋
ボスポラス海峡にかかるヨーロッパ大陸とアジア大陸を結ぶ橋、ファーティフ・スルタン・メフメト橋(第2ボスポラス橋)は日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業(現在のIHI)や三菱重工業によって1988年建設されました。
ボスポラス海峡の海底トンネル
ボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネル「マルマライ」も日本政府の援助と大成建設の協力のもと、2013年に完成。開通記念式典には安倍晋三総理も出席されました。
考古学発掘と皇族三笠宮家との深い絆
1991年オリエント史に関心お持ちだった三笠宮崇仁親王殿下が日本トルコ協会の名誉総裁に就任されて以降三笠宮家で引き継がれ、現在は孫にあたる三笠宮彬子女王が総裁として就任されていらっしゃいます。
歴代の三笠宮家は中央アナトリアに位置するカマン・カレホユック遺跡における考古学発掘調査やアナトリア考古学研究所の設立に尽力されるなどトルコの考古学史上非常に大きく貢献され、考古学に多大な成果をあげています。
また1993年には、広さ2万平方メートル以上の三笠宮記念庭園 が開園し、トルコにおける本格的日本庭園 として新たな観光名所となっています。
若者達にとってはアニメの国
世界中の若者達の間で日本のアニメやコスプレが大流行していますが、トルコでも遅ればせながら近年若者達のアニメやコスプレ人気が急上昇中です。
このブームに伴い日本への関心が深まり、特に高校生や大学生の日本語習得希望者もどんどん増えてきているようです。
約100年後のエピソード。トルコは日本に恩返し
最後に特筆すべきこととしてエルトゥールル号遭難から約100年後の1985年のこと。トルコ政府はイラン・イラク戦争勃発時にイランに取り残されていた215名の日本人達を救出してくれたのです。
日本政府が在イラン日本人達の救出を断念した時、トルコ政府はエルトゥールル号の恩返しとして、危険を顧みず救護機を派遣して無事に日本人救出に成功。
しかも500人以上いた在イランのトルコ人よりも日本人を優先しての救出劇。のちに日本政府は当時のパイロットや乗務員に勲章を授与しています。
トルコにとって日本は特別な国
見ず知らずのトルコ人を懸命に救助し手厚く看病してくれた人達の住む国、建国の父アタチュルクが目標とし敬意を評していた国、終戦後国民の計り知れない努力によって世界をリードする経済大国になった国、政府や皇族の多大なる協力によってトルコに大きな利益と発展をもたらしてくれた国、アニメやコスプレで夢を与えてくれる国。
時代や年齢によって日本や日本人好きの理由や観点が異なりるかもしれませんが、100年以上も前からトルコにとって、そしてトルコ人にとって日本は本当に特別な国なのです。
長い歴史上そして現代においても、トルコは政治的に敵対国が比較的多い中、日本が唯一の友好国として常に安心して接することができる国なのです。
トルコの老若男女の皆さんがありがたいことに本当に日本や日本人の人のことを大好きでいてくれます。
そんなトルコの人達の親日感情を裏切らないように、筆者個人としても日本人滞在者として恥ずかしくないように行動していきたいと思っています。
そして新たにトルコにいらっしゃる方達も、トルコ人の大げさなまでの親日ぶりに触れながら楽しく親交を深めてみてください。
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