娘と一緒にラトビアへー森と湖の美しい国に移住して今思うことー

※この記事はせかいじゅうサロンの「海外在住者ピックアップ」企画で、紹介された内容です。

せかいじゅうサロンのみなさん、こんにちは。

バルト三国の真ん中の国、ラトビア在住10年目の溝端です。

私は初めてラトビアに滞在するまで、ラトビアとはバルト三国のひとつ、旧ソ連の国というくらいの知識しかありませんでした。

ではどうしてラトビアで暮らすようになったのか、私の移住例を紹介します。

プロフィール

愛知県出身。

海の生物に興味を持ち、大学進学を機に北海道へ移住。

大学院修士課程終了後、静岡の研究所で1年働く。

その後北海道へ戻り結婚。

夫の就職を機に、米国アラスカ州フェアバンクスへ移住。

2年半の滞在中、妊娠、出産を経験。

日本帰国を機に、大学院で博士研究を始める。

2012年にラトビアへ当時5歳の娘をつれて移住。

環境系研究所で研究者として働くが、2021年夏に退職。

現在、人生模索中。

ツェーシス城(9月)

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在住国と都市の紹介

ラトビアは北東ヨーロッパに位置し、北にエストニア、南にリトアニア、東にロシア、北東にベラルーシと国境を接しています。

北海道の4分の3ほどの国土に、約190万人が住んでいます。

気候は北海道と似ているように感じます。

夏はさわやかで過ごしやすく、冬は時にはマイナス20度まで下がり雪が降る、でも北海道のような山はありません(ラトビアで最も高い’’山’’は標高311m)。

個人的には、ラトビアには人の手が入っていない自然がまだ多く残っているところに、新鮮さを感じます。

ツェーシス郊外の冬の朝(1月)

ツェーシス郊外の冬の朝(1月)


日本ではまだまだラトビアの知名度は低いと思います。

ですが近年、日本でもラトビアの石鹸、リネン製品、手編みミトンや編みかごなどのハンドクラフト製品が、じわじわ人気のようです。

私と娘が暮らすツェーシス市は、首都のリーガから北東に90kmほど離れた、小さいながら歴史的な街です。

ラトビアで最もラトビアらしい街と言われています。

子育て世代にも人気の平和な街で、赤ちゃんや小さな子供連れファミリーをよく見かけます。

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移住のきっかけ

海外移住を考えた理由はいくつかありますが、大きなきっかけとなったのは、2011年3月の東日本大震災でした。

当時、私は大学院の博士課程の学生で、京都で娘と2人で暮らしていました。

震災後、アジアを除く多くの留学生が自国に一時的に帰国しました。

同じ研究室の留学生だったラトビア人の友人が、妻子をつれてラトビアに戻るとなったとき、私たちもラトビアへ来てみてはと誘ってくれました。

初めてのラトビア滞在

2011年3月中旬から、娘とともにラトビアに1か月滞在しました。

ツェーシス郊外にある友人の義両親の家でお世話になりました。

ノートPCで自分の研究のデータ解析を続けつつ、週1回メールと少しのニュースをチェックする以外、インターネットからは離れました。

滞在していた家は、小さい湖が点在する平原のなかにあります。

仕事に疲れた時は、よくふらっと外に歩きに出ていました。

まだ雪深い、静かな雪原を歩いていると、キツネやシカと遭遇することがありました。

車もめったに通らない田舎のため、野鳥が頭上を羽ばたく音がよく聞こえました。

4月になると、雪解けの水が木の枝から滴る音なども聞こえました。

静かな環境ゆえに、自然やその音を深く感じられたことが、滞在中の強烈な印象として残りました。

ヨーロッパで最も幅の広い滝:ヴェンタ滝 (7月) 日本人がイメージする滝とは大分違います。

ヨーロッパで最も幅の広い滝:ヴェンタ滝 (7月)
日本人がイメージする滝とは大分違います。

海外移住を考え始めた理由

1カ月のラトビア滞在後、日本に戻ってからショックを受けたことがあります。

原発事故後、政府の言うこと「直ちに健康に影響はない」が、全く変わってなかったことです。

またその言葉を信じる人が多くいたことです。

本州では今後10年は引き続き大きな地震が起こりやすいこと、放射能汚染の問題はじわじわと全国に広がるであろうことを考えて、海外に移住することに決めました。

また当時夫と別居しており、離婚を念頭において将来を考えていました。

日本ではシングルマザーとして暮らすには居心地が悪いということも、海外移住を後押ししました。

移住先の決定

まず以前に住んだことのあるアメリカとラトビアを、移住先の候補として考えました。

アメリカについては、高学歴な人でさえも職に就くのが難しく、英語が流暢でない外国人ならなおさら困難ということで、候補から外しました。

ラトビアについては、初めてのラトビア滞在は素晴らしいものでしたが、実際に暮らすとなると想像ができませんでした。

ラトビア友人に相談したところ、「ラトビアは博士号を持っていれば仕事のチャンスはたくさんある。小さい国なので、コネを使ったりいろいろ柔軟に対応できる。子供の初等中等教育も悪くない。もしラトビアに来るなら助けるよ。」といわれました。

そこからラトビア移住のための情報収集を始めました。

移住の5か月くらい前には、ラトビアに移住することを決めていました。

ラトビアに関する情報は、観光情報でさえ今ほど多くありませんでした。

当時ラトビア在住でブログをやっていた日本人の方2名にコンタクトを取り、現地の医療事情や滞在に必要な書類の準備の仕方といったことについて質問したりして情報を集めました。

ラトビアでの生活

2012年2月、ラトビアへ娘を連れて移住しました。

大学院は単位取得退学とし、ラトビアで博士論文を書き上げることにしました。

ツェーシスにある友人父の会社で働きながら、最初の半年は生活のセットアップ、ラトビア語の勉強に集中しました。

現地での仕事

移住から2年後の2014年、やっと博士論文を書き終え、博士号を取得しました。

そしてすぐに、ツェーシス近郊にあるプライベートの環境系研究所で働き始めました。

友人も研究者としてここで働いており、ボスへ紹介してもらいました。

この研究所では、最近まで計7年働きました。

最初の5年半は、友人をリーダーとする湖の生態系研究チームで働いていました。

主には湖に生息する様々な魚の年齢や食性(何を食べているのか)を調べたり、湖に生息する動物プランクトンの種類や数を推定するといったことをしていました。

あとの1年半は、化学研究室で働いていました。

研究所設立者で実業家のボスはいくつかの会社を持っており、その一つの会社で有機栽培の薬用植物、アロマ植物の生産をしています。

実験室では、それら植物から精油を抽出し、その化学成分を分析する仕事をしていました。

新たなステージへ

2021年夏に研究所を退職しました。

研究に対するモチベーションを維持するのが難しいと思ったからです。

とりあえず2か月間、久しぶりの人生の小休止を楽しむことにしました。

まずは今まで行ったことなのかったラトビアの地方都市へ、ドライブ旅行を楽しみました。

ちなみに、ラトビアはどこまで行っても平らな土地が続くので、車の運転が楽です。

ただし野生動物が道路に飛び出してくることが多いので、注意しなくてはなりません。

また興味があったロシア語の勉強を始めました。

ラトビアにはロシア人が多く住んでおり、また多くのラトビア人はロシア語を話します。

最近はほんの少しですがロシア語が聞き取れるようになり、世界が少し広がった気分です。

移住時5歳だった娘は、現在15歳になりました。

地元の学校へ通い、外ではラトビア語、家では日本語と英語で話し、あと学校でロシア語も学んでいます。

小さな平和な街で、のんびり青春を謳歌しているようです。

私は将来未定ですが、少なくとも娘が自立するまでは、ラトビアで暮らしていくつもりです。

とりあえずは、ラトビアで就職先を見つけるか、日本の会社の仕事をオンラインでやるか、などと人生模索中の今日この頃です。

海外移住は大きな決断でしたが、後悔は全くありません。

自分で選んだ道を、これからも自信をもって歩んでいけたらと思います。

郊外のデイジーが咲き乱れる野原(6月)

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自分の強み

私の強みは、頑固さ、リサーチ力、忍耐力です。

頑固な性格で、一度決めたら徹底的にリサーチして行動に移します。

ラトビア移住後数年間は、日本にいる友人知人から「いつ日本に戻って(再移住)くるの?」とよく聞かれました。

5年くらい経つと、「本当にラトビアで生きていくんだね」と信じて(?)もらえるようになりました。

苦しい時期もありましたが、それは忍耐力で乗り切り、もう10年もラトビアにいます。

サロンメンバーに伝えたいこと

海外で暮らしていると、多くの困難な出来事にぶち当たります。

失敗も数えきれないほどしてきました。日本で暮らしていれば、しなくていい苦労もたくさんありました。

でも時間に追われず、家族で過ごす時間をゆったりとれるラトビアのシンプルな暮らしは、なんだかんだで気に入っています。

皆さんがどこに移住するにせよ、最初の一歩を踏み出すには、やはり勇気がいります。

じっくり事前リサーチしてから、ぜひ新たな一歩を踏み出してください。

2021年は日本ラトビア友好100周年の記念すべき年です。

残念ながら、ラトビアはコロナ感染拡大のためロックダウン中です。

また自由に行き来できるようになったら、ぜひ一度、森と湖の美しい国ラトビアを訪れてみてください。

お気軽にコメントお待ちしております。

キェメリ国立公園の湿原(7月)

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