移住前に知っておきたい地域別の国民性。
多言語国家だと思っていたら希望言語を使えなかった?そんな事にならないためにベルギー王国誕生から今を紐解いて行きましょう。
ベルギー人への理解を深めれば移住は必ず楽になります。
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ベルギー古代から多言語国家が生まれるまで
ベルギー王国誕生の遥か昔の紀元前、ベルギーはローマ軍の支配を受け主に農工業を発展させていました。
この地に移り住んでいたケルト人、当時ケルト語で戦士を意味するBelgae(ベルガエ)と呼ばれる部族を征服したのはローマ最大の英雄と呼ばれるGaius lulius caesar(ユリウス シーザー)率いるローマ軍、紀元前57年の出来事でした。
現在のベルギー人の始まりとなった彼等はシーザーにヨーロッパ北東部で最も勇猛果敢な部族だと言われた程でした。
4世紀5世紀と時は移りやがてローマ帝国の勢力は徐々に衰えその領土の北部をゲルマン勢力に渡す事となります。
この時にローマの支配を受けた南部はラテン語を話す民族に、北部はゲルマン語(この場合はオランダ語)を話す民族に大きく分かれます。(ドイツ語圏はドイツ領だった地域が第一次世界対戦後にベルサイユ条約により割譲された物でドイツ語を使用する人口は1%になっています。)
その後、ルネッサンス期15-18世紀とスペインの統治、オーストリアにと支配を受けた後18世紀末にはフランス、オランダと統治をされついに、1830年フランスの7月革命の影響を受け臨時政府をブリュッセルに置き独立を宣言します。
何故異民族同士が建国に至ったのか不思議ですよね。
これは当時low country(日本語直訳で低地地方)と呼ばれた現在のベルギーの南部北部とは75%以上がカトリック教と宗派を同じにし一方当時の支配国であったオランダのプロテスタントに宗教弾圧を受けていた事を不満に南北が手を取り合ったと言われています。
ベルギーの南部と北部はもともとは異民族ながら宗派を共通にし独立したのです。
南北異なるアイデンティと生まれたベルギーの言語紛争
他国からの支配を受けていたベルギーは独立後人口の6割が北部のフランダース地方でオランダ語を話し、人口の約4割は南部半分のワローニャ地方に分布しフランス語を話しました。
1831年独立当初南部ワローニャ地域は石炭、鉄鋼石でベルギー経済を牽引しフランス語を文明語であると公用語にしオランダ語民族への差別や政治的不平等を強いてきました。
しかし、第二次世界大戦が終わりを迎えエネルギー資源の移り変わりによりかつて栄えた石炭鉄工業は衰退を迎えます。
一方でフランダースは毛織物工業だけでなくブリュッセルやアントワープは主な成長産業を化学工業、貿易業として外資が集まり19世紀半ばには産業革命を果たしヨーロッパの経済を牽引するまでに上り詰めます。
ここで南北の経済格差が生まれ、後の言語対立や言語戦争と発展したします。
その原因には建国当初経済優位を背景に福祉国家政策を行っていたワローニャ地域との経済格差とオランダ語エリアからフランス語エリアへの年間50億EUROにもなる社会保障費をオランダ語圏の人々が嫌がっていると言われていますが暗に経済負担を嫌う、北部フランダースの人々の不満ではなく長年フランス語話者による差別や不平等に耐えた後の反発があるのです。
言語境界線と言語紛争
現在ベルギーには南北のほぼ中央に言語境界線が存在します。
これは1831年にベルギーが独立をしてからフランダースが長期に渡る差別や地域格差や不平等を強いられた事からこれらに対する文化運動から始まり1840年から1900年には政治的マイノリティであった事から文化的運動から政治的経済的運動に変化していきます。
1900年に入ると地域言語の考えが導入されフランダースとワローニャでは地域別単一言語主義が生まれ初めての言語境界線が生まれた後1963年には言語境界線が公式に設定されブリュッセルを除き地域別一言語主義が確立します。
しかし運動は収まる事はなく更なる自治拡大を求めるフランダースとフランス語圏の連立が難航し2007年には新政権発足まで194日間の無政府状態に、2011年には541日間無政府状態を招くまでになっています。
共同体で異なるベルギーの言語教育
1993年に連邦制を導入したベルギーではオランダ語を話すフランドル共同体とフランス語共同体、ドイツ語共同体が存在しそれぞれが文化案件と教育についての権限を有しています。
また地政学的範囲ではフランドル共同体はオランダ語エリアとブリュッセル地域で、又フランス語共同体はフランス語エリアとブリュッセル地域で活動できるようになっています。
その為ブリュッセルではフランドル共同体とフランス語共同体の2つが教育政策を実施しています。
また共同体はそれぞれ排他的に政策の実施に当たっているのも特徴です。
言語教育についてはフランドル共同体では幼稚園から外国語教育が始まります。
フランドルでは英語に優位しフランス語の履修が義務教育として行われその目的をフランス語話者への理解や一体性の維持ともされています。
しかしながら、現在のオランダ語話者の若者達は極端にフランス語を嫌う傾向がありその理由にはかつてベルギーの政権を担った民族の古めかしい言語である等言われています。
ブリュッセルでは言語境界線に接する地域の学校ではオランダ語履修は必須でありドイツ語義務教育としてに製作をる地域ではドイツ語をと柔軟な政策が取られています。
他方フランス語共同体では義務的履修はオランダ語英語ドイツ語のどれかとなっており実際に履修しない学生も多くフランス語しか話せない人が多いのが現状です。
これもまた、言語対立を加速させる原因のひとつになっています。
ブリュッセルの言語問題
特に解決が困難であると言われているブリュッセルの言語扮装問題にはBHV問題があります。
これはベルギーの政体を理解しないと難しいのですが、簡単に説明するとベルギーには連邦政府以外に議会と政府が沢山あります。
BHVとはBruseel Halle Vilvoordの頭文字でベルギーの選挙区と司法区の事です。
BHVはブリュッセルを構成する19区とブリュッセルを囲むオランダ語エリア35の行政区で構成されています。
ブリュッセルは2言語主義ですがフランス語話者が80%を越えています。
中心部ではフランス語話者が権利を唱え、オランダ語話者が少数派として権利保護を求める動きが見られます。
またオランダ語圏エリアの35の行政区のうち6区にはフランス語圏の住民がブリュッセルの治安の悪化や土地価格の高騰を理由にフランス語圏人口を増やしてきており行政サービスはオランダ語圏でありながらフランス語オランダ語の両方で行われています。
これをオランダ語圏ではフランス語化と呼び深刻な摩擦が生まれて、一部の行政区の中ではフランス語話者の移住を防ぐためフランス語を話せない人への住居の賃貸や売買を拒んだり公共施設でのオランダ語強要等極端な事にも発展しています。
BHVはベルギーの州で唯一選挙区として分かれていますが、この構成要因になっているオランダ語圏の問題とブリュッセルに住むフランス語話者が同じ選挙名簿を使用する事になるのが問題です。
ブリュッセルでありながらオランダ語圏エリア35の行政区内に住んでいるフランス語話者がブリュッセルのフランス語の被選挙人に投票が出来るのです。
しかしこの逆、フランス語エリア住民オランダ語話者がオランダ語政党の被選挙人に投票が出来ることはありません。
また司法の面でもフランス語話者裁判官がオランダ語話者に司法判断を下すことは過去に誤った死刑判決もあった事から大きな争い事となっています。
選挙区としてBHVを分割するのか、オランダ語圏フランス語圏どちらに取り込むのかこれはブリュッセル問題の解決しがたい大きな問題となっています。
まとめ
人口が多いながらも概ね均質単一民族で構成される日本で生きていると言語戦争と聞いてもなかなかイメージの湧かない状態ですよね。
国家の成立の影の侵略支配の歴史はヨーロッパでは珍しくありません。
人民の同質性が無い連邦国家ベルギー王国の課題はの合意民主制あるいは多極共存型民主主義により合意や妥協を増やし対立の意識を減らしていく事にあるのでは無いでしょうか。
多言語多民族国家、その長所と短所を皆様はどう捉えられますか。
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