多くの日本人にとって、ラテンアメリカ人の一般的なイメージは「褐色の肌に陽気な笑顔で踊る人々」かもしれません。
しかし、白人系が人口の圧倒的多数を占める南米のアルゼンチンに住む人々は、そんな典型的”ラテン度”の極めて低い人達と言えそうです。
ここでは、ラテンアメリカ4か国で17年間暮らしてきた筆者が、ラテンアメリカの中でも一風変わったアルゼンチン人の特筆すべき国民性についてまとめます。
渡航前に予めアルゼンチン人のイメージを頭に入れておくと、下手な誤解などが避けられ、異文化理解も進みやすいかもしれません。
アルゼンチン人はラテンアメリカの変わり者?それとも嫌われ者?
アルゼンチンは1482年にコロンブスによって発見されて以降、他の多くのラテンアメリカ諸国と同じように、長い間スペインに植民地支配されてきました。
他のラテンアメリカの国々では、白人と先住民の間に生まれたメスティソと呼ばれる混血の人々が国民の大多数を占めるのに対し、アルゼンチンでは現在白人系が国民の80%以上を占めると言われています。
この違いは一体なぜでしょう?
大規模な移民政策から白人化した国・アルゼンチン
実はアルゼンチンでは1800年代に多くの政治家によってアルゼンチンの西欧化、人口の白人化が公式に掲げられ、大規模な移民政策が政府主導で行われました。
その結果、イタリア、スペインを筆頭に、ドイツ、イギリスなど多くのヨーロッパ諸国から多数の移民が流れ込んだことで、現在に至るまで白人系人口が圧倒的な割合を占めているのです。
こうしたヨーロッパ系移民は、2世、3世となった今でも、その先祖の出身地であるヨーロッパ諸国の市民権やパスポートを持っていることが多く、現在でも遠い親戚がそれらの国々に住んでいたりします。
2001年にアルゼンチンが財政破綻した時、多くの国民が仕事やより良い生活を求めてヨーロッパへ渡ったのは、こうした背景があってのことでした。
さて、アルゼンチン人はよく他のラテンアメリカの人々から「ヨーロッパ人気取り」と敬遠されますが、アルゼンチン人にとってヨーロッパは、こうした歴史的ルーツや社会的な要因があり、現実的にとても身近にあるので当たり前と言えば当たり前かもしれません。
ただ、中には「俺はラテンアメリカ人じゃない。イタリア人の末裔だ。」と言い放ってしまうアルゼンチン人もいるので、これは嫌われてもしょうがないか、、、と思うことも時にはあります。
このアイデンティティーのどこか宙ぶらりんな感じは、メスティソが大半を占めるラテンアメリカの国々ではあまり見られない、少し屈折したアルゼンチン人の独特な国民性を作り上げている理由の一つと言えそうです。
独特なスペイン語はイタリア語訛り?
多くのラテンアメリカ諸国ではスペイン語が公用語となっていますが、それぞれの国や地域で話されるスペイン語には大きな違いがあります。
中でもアルゼンチン・スペイン語は、使われる語彙や表現だけでなく、アクセントや発音が他国のそれとはだいぶ異なることで有名です。
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こうした「音」の違いは、圧倒的多数のイタリア系移民による”イタリア語訛り”と言われていますが、この「シャ・シュ・ショ」音の目立つ独特なアルゼンチン・スペイン語を「鼻につく」と嫌ったり、笑いものにする人は多くいます。
それでも、実際にアルゼンチンで暮らしてみると、こうした風評とは全く違い、アルゼンチン人が親切で気さくな人たちだときっと分かることでしょう。
確かに、パッと見は完全に白人でいわゆるラテン人とは全く違うように見えるかもしれませんが、「Hola!」と挨拶してみると、直ぐに人懐こい笑顔で話しかけてくれます。
アルゼンチン人はラテンアメリカの”嫌われ者”と言うよりも、実際はラテンアメリカの”変わり者”なのではないかと筆者は思っています。
口の悪さは折り紙付き
アルゼンチン人の話すスペイン語について更に言うなら、他のニュートラルなスペイン語を聞き慣れている人にとって、とても乱暴で口が悪く聞こえるかもしれません。
例えば、人の親のことを「おたくの”viejo”(=年寄り)」と呼んだり、初対面の相手に対して丁寧な2人称の「Usted(あなた)」は使わず、いきなり「Vos(おまえ)」と話しかけたりと、その習慣に慣れるまでにきっと驚くことがあるでしょう。
また多くのアルゼンチン人は皮肉の効いたブラックな笑いも大好きです。
その延長からか、友人や恋人、奥さんなどを、愛情をこめて過激なニックネームで呼ぶのもいたって普通で、聞いているこちらの方がドキドキするぐらいです。
アルゼンチンは中南米の映画大国の一つですが、そんなブラックな笑い満載の、抱腹絶倒な作品も多くあり、アルゼンチン人気質をよく表しています。
ですから、アルゼンチン人と会話をしていて、相手の表現や冗談にギョっとしても、よほど失礼なことを言われたのでない限り、真面目に受け取らず笑って流してしまった方がいいかもしれません。
ただし、真剣に気に障ることを言われた場合は、相手にきちんと伝えましょう。
悪気があって言っていることは恐らくほとんどないので、相手を不快にさせたと分かれば素直に反省して、次回からは気を付けてくれることでしょう。
言語上の誤解があれば、それを解く良いきっかけにもなるかもしれません。
自虐ネタが好き
アルゼンチン人は自国批判をよくします。
以前フランス人の友人が「何でもかんでもとにかく”批判すること”は、もうフランスの”国技”と言っていい」と言っていたのを、ここアルゼンチンで思い出しました。
そう、「自国批判はもはやアルゼンチンの”国技”」かもしれません。
確かに、整合性のない社会システム、社会正義やモラルの欠如、政治的不安定さ、高いインフレ率や貧困率など、突っ込みどころの尽きない国ではありますが、こうしたアルゼンチン人の自虐的な自国批判に同調してアルゼンチンを悪く言うのは、よほど信頼できる相手でない限りやめておきましょう。
誰しも、自分の親の悪口は言ったとしても、他人からは身内のことを悪く言われたくないものです。
どれほど自国を罵っても、心の中は愛国心で一杯のアルゼンチン人は多いので、会話の流れが怪しくなってきたら、アルゼンチンの良いところ、好きなところについてコメントして、その場を和ませると良いでしょう。
逆境に慣れていて打たれ強い
これはラテンアメリカ人全般に言えることかもしれませんが、アルゼンチンの人々もこれまでに数々の逆境を乗り越えてきた歴史があり、苦境に対してとてもタフです。
経済的なことを言えば、幾度かの国家財政破綻を既に経験してきていることから、2018年のインフレ年率がなんと48%となった時でも、大きな混乱が起きなかったことがそれを物語っています。
年率48%のインフレ率がある生活と言うのは、スーパーへ行くたびに物の値段が跳ね上がっているということです。
先日まで28ペソだった牛乳が、突然45ペソになっている。先月まで50ペソだったガス代が、今月から突然350ペソになった、というような状況を想像してみてください。
倍額、もしくは何十倍と価格が跳ね上がっても、毎月の給与額は変わらないため、当然人々の生活はとても苦しいものとなります。
そんな状況下でも、ぶつぶつ文句を言いながらも人々が淡々と買い物をし、つけられた値段通りの額を支払う姿には驚かされます。
そして多くのアルゼンチン人が「今までにもっと酷い時代があったからね、こんなのは序の口さ」と言うのを聞くたびに、果たしてそのタフさが良いことなのか、それとも嘆くべきことなのか、と考えさせられます。
一つだけ確かなことは、デフレの日本から来た人にとって、こうした激しいインフレのある生活を受け入れたり、理屈のきちんと通る日本社会とは全く違う、理不尽だらけの状況を我慢するアルゼンチン人を理解することは、決して簡単なことではないだろうと言うことです。
こうした異文化理解の壁にぶつかったら、アルゼンチンの歴史を紐解いてみましょう。
この国の人々がどのような逆境を乗り越えてきたかが分かると、きっと彼らの行動や発言の意味もより深く理解できるようになるでしょう。
多様性に対する寛容度が抜群に高い
”ラテンアメリカ”と呼ばれるメキシコー中米大陸ー南米大陸は、様々な先祖、民族、人種によって成り立つ、世界の中でも特に多様な地域となっています。
このためアルゼンチンでも「みんな違って当たり前」が社会のベースになっていて、容姿も性格も生き方も、誰もが自分のままでいられ、周囲がそれを尊重する土壌があります。
これは単一民族国家の日本に根付いている価値観とは正反対ですから、日本でなら空気が読めないと批判されてしまうような人、いわゆる”天然”な人、自己主張が激しく我が道を行く人がいたとしても、「ああいう人だからしょうがない」と周囲が気持ちよくフォローして、決して批判の対象とならないことに、日本人なら驚くかもしれません。
アルゼンチン人の”違い”に対する寛容度の高さは、難しい問題を多く抱えたこの国で生活する上である種の”救い”になっている気がしますし、移民国家としてバックグラウンドの異なる人々と共存するために必要不可欠な価値観でもあります。
今後ますます外国人が増えていくだろう日本社会にとっても、こうした発想の転換は避けては通れないものになるでしょう。
見習うと良いことの一つかもしれません。
約束事に対する”緩さ”がちょうど心地よい
一般的に、ラテンアメリカ人との約束はあまりきちんと守られないことが多い、というのは誰しも知っていることかもしれません。
ただし、単に時間に遅れて来るだけならまだしも、当日連絡なしで来ない、こちらから連絡しても電話にすら出ない、なんてことも国によってはよくあって、さすがに怒りを通り越して途方に暮れます。
そんなラテンアメリカ人の中でも、アルゼンチン人は比較的時間も約束も守る人達で信頼できます。
ドタキャンはあっても連絡はしてくれますし、当日連絡なしで現れない、ということは、この国で11年間暮らしてきて一度もありません。
ただし、アルゼンチン人の中には、招待された時間きっちりに行くのは、相手を急かしているようで逆に失礼と考える人もいるので、30分程度遅れて到着するのは普通です。
招待したこちら側も「どうせ時間通りには誰も来ない」という心の余裕も生まれ、慣れてしまうとこの緩さが心地良く感じれるようになるでしょう。
また外で待ち合わせをした場合も、バスの時刻表もない国なので、待ち合わせ時間きっちりに会えることはまずないと思っていたほうが良いでしょう。
初めからその心づもりでいると、「バスが来ない!時間に間に合わない!」と焦ることもなく、気持ちにも余裕が生まれます。
このように、アルゼンチンでは「時間」をめぐって気を揉む、焦る、逆に待たされてイライラするなどの感覚はあまりありません。
まあ気長に待っていればそのうち現れるさ、というのんびりした気持ちでいることに慣れてしまうと、かなりストレスフリーな生活を送れるようにはなりますが、日本社会に復帰するのは難しくなるかもしれません。
まとめ
筆者がアルゼンチンに住むまでは数々のよろしくない評判を他のラテンアメリカ諸国で耳にしました。
しかし、実際に住んでみると、アルゼンチン人は約束に適度にルーズなラテンアメリカ人であり、冗談が好きで、自国をバリバリ批判して、自分のアイデンティティーを探し求める繊細で心優しい人たちだと思うようになりました。
それぞれの国民性の背景には、各国社会の価値観が根付いています。
何でこの国の人はこうなんだろう?と疑問に思った時には、そうなるに至った経緯について分析してみたり、歴史を振り返ったりすると、より深い異文化理解に繋がるだけでなく、きっと面白い発見がたくさんあることでしょう。