※この記事はせかいじゅうサロンの「海外在住者ピックアップ」企画で、紹介された内容です。
皆さん、初めまして。アメリカ南カリフォルニアオレンジカウンティ在住のブレナー真由美と申します。
私は大学時代にイギリス留学を通じて世界の広さを知りました。その後日本で就職しましたが、英語を使って働きたい、海外で働きたいという思いが強まり、イギリスでの就職を目指しました。
しかし、遊びに行った香港に魅了され、香港へ移住し、22年のキャリアを積むことになります。
現在はアメリカ西海岸に移住し、海外転職を目指す人々に対して、プランを立て、サポートをするキャリアコーチとして活動しています。
私の経験が海外移住・海外転職を目指す人の参考になれますと嬉しいです。
在住国や都市の紹介、魅力
私は、オレンジカウンティのアーバイン市という所に住んでいます。
ロスアンジェルス空港から南に45分、サンディエゴへも45分くらいで行ける中間地点に住んでいます。
ここは、1年を通して比較的温暖で真っ青な空を毎日のように見ることができます。
オレンジカウンティは、本場ディズニーランド、野球で大活躍をしている大谷翔平選手が所属しているロスアンジェルスエンジェルス球場があり、サーフィンで有名なハンティントンビーチや世界からも観光者が多く集まるラグナビーチなどがあるところです。
何れにも私の自宅から車で20分くらいの所にあります。
オレンジカウンティは世界からディズニーやビーチを目指してくる観光客が多いだけではなく、日系のスーパーもアジア系のスーパーやレストランも沢山あり日本人にはとても住みやすいところです。
移住の経緯
私はアメリカ人の夫(オハイオ州出身)と子供と息子二人、娘一人の5人家族です。6年前に子供たちが10歳、9歳と5歳の年齢でこちらに移住してきました。
その前は22年間香港に住んでいました。
こちらに移ってきた理由は、子供たちが大きくなるにつれ、土地が狭い香港を出て、広々としたところへ移りたいと考え始めたことと、子供の教育が主な理由でした。
日本からも近く、マルチナショナルな環境を考えると西海岸を一番に考え、長く大都会香港に住んでいたため、少しゆっくりとしたライフスタイルに変えたいと思いオレンジカウンティを選びました。
何と言ってもここは治安がとてもよく、安心して暮らせるところだからです。子供たちも今では高校生二人、長男は既に車を運転し、ハイスクールライフを楽しんでいるようです。
子供たちは全員が日本と英語のバイリンガルで育っており、バイリンガルで育っている家庭の子供たちが多いこのエリアを選んでよかったと思っています。
現在のライフスタイル
2年前に海外転職希望者を成功に導くためのキャリアコーチの会社を設立しました。
1年ほど前にせかいじゅうと出会い、せかいじゅうキャリアを立ち上げ、せかいじゅうから海外転職や海外でのキャリア形成を考えている方々向けにキャリアコーチとして活動を始めています。
特に海外へ出るのが初めての方、キャリア迷子になっている方、どんな方法で海外転職が出来るのか模索している方々へ、自己分析、キャリアの棚卸、転職軸から国選びなどに特にフォーカスしたコーチングをしております。
仕事以外には、子供たちの現地校のPTA会長などをしています。
私はアメリカで教育を受けたことがないため、こちらに移住をしてきて、アメリカの教育システムはどんなだろう?という興味から子供たちの学校のクラスのボランティアからはじめ、PTA会長、副会長など6年目になります。良い仲間も出来て楽しくボランティアをしています。
何より子供たちの笑顔を見るのが嬉しいです。
プライベートでは、毎朝、犬の散歩をしながら旦那さんと日々の出来事や考えていることを話し、30分のウェイトトレーニングやヨガなどの運動を欠かさず、朝から気持ち良い状態で仕事や家族のケアに臨んでいます。週末はビーチに行ってのんびりしたり、何より美味しいものを食べに行ったりするのも趣味です。
メキシコ、アジア、アメリカン、ヨーロピアンなどありとあらゆる料理が楽しめるのも魅力な場所です。
過去の活動、今の活動
私の海外との最初の接点は、大学在学中にロンドンへ1か月短期留学をしたことでした。
この1カ月で「世界は日本だけじゃないんだ」ということを体感し、その後本格的に2年半イギリスへ留学をしました。
英語が出来るようになったら、自分に自信が持てるようになり、最初の就職は大手人材派遣会社の外資系担当の営業として入社。
日々仕事は充実していたものの、なかなか英語が使えないもどかしさで、悶々とした日々を過ごしていました。英語を使った仕事やイギリスで就職したい気持ちが、いつしか『海外で仕事をしたい!』に代わっていきました。
そんな中、留学中に出会った香港人の友人達に「香港に遊びにおいでよ」と何度も誘われていたこともあり、香港へ遊びに行きました。
当時香港は、発展途上国が経済発展を遂げようとしている真っただ中。腐り豆腐の匂いが空港を下り立ったらして、湿気でむんむんとしていて、半分裸でビルの工事現場で働いている人たちがいる一方で、金融の街香港でスーツをびしっときめて、急ぎ足で街を闊歩するビジネスマン、ウーマンたちが働いていました。
たった4泊5日位の短い旅行でしたが、すっかりこの街に魅了され、そして何と言っても100万ドルの夜景、香港は眠らない光景を目のあたりにして、帰りの飛行機では「香港で絶対に転職するぞ」と思い、そのままの勢いで、帰って直ぐに退職願を出し、香港へ飛び立ち、大手日系銀行へ転職しました。
しかし、4年勤務後、当時誰も想像もつかなかった『銀行が経営破綻する』ということになり、転職を余儀なくされました。
1年間アメリカ人経営のイベント会社へ転職をするものの、仕事は英語のみでアジア圏からドバイまで1年に5か国くらい出張に行くという自分にとっては理想の仕事かと思いつつも、いつしか日本語を全く使わない環境になり、またまたキャリアの軸についてもう一度考えさせられました。
その後、古巣の業界、人材紹介会社(現)パーソル(旧テンプスタッフ)の現地法人責任者として戻ることとなりました。
16年間、転職希望者の相談に乗り、人材不足や優秀な人材を必要としている企業へ人材を紹介をし、会社も中国と香港へ4拠点支店を出したり、アメリカの人材会社とJ/Vの会社を作ったり、本社経営統合により現地で2社の統合をするなど、出産・子育てもしつつ、Non Stopのキャリアを積んできました。
こんな毎日休みなしの生活でも転職希望者が転職が決まった時の安堵している顔や、企業の担当者が喜ぶ顔、会社統合など会社が移り行く様を楽しんでいました。
それも私が尊敬してやまないテンプスタッフ(現パーソル)の創業者である篠原欣子さんに出会ったこと。
50年前の日本で女性経営者は本当に珍しく、50年経った今でも後継者達に脈々と受け継がれている篠原流の経営。初めて篠原さんに面接をしていただいた時に、「将来どんなことをしたいのか?」と聞かれ、今思えば生意気にも「いつかは会社の社長になりたいです」と答え、16年間私は現地法人の社長として沢山鍛えられ、今では小さいながらも自分の会社を設立し経営をしています。
私は、本当に人が好きで、人生の大半を占める仕事を紹介する仕事に就けたこと、私は”人”とかかわる仕事、”人”のキャリアに繋がる仕事に就けたことが私の”天職”になり、これからも私のクライアントさんへもっともっと仕事は楽しい、キャリアを積むことはとてもエキサイティングなこと、このキャリアを更に海外で活かすこと、それには先ず海外転職を成功させ、海外に出てからも毎日が充実していると思える人生を歩んで頂くために日々コーチングが出来ていることに改めて感謝をしています。
私は、海外に出て30年になるというのにまだまだあの頃のエキサイティングが気持ちが日々変わらず続いているんです。
この気持ちを私のクライアントさんにもコーチングでサポートし、より多くの方が海外で満足いくキャリアを積んでいけるようこれからもフルでサポートしていきたいと思います。
サロンメンバーさんに伝えたいこと
サロンメンバーさんに伝えたいことは、あなたが思っている以上に世界は広いです。
本当に沢山の可能性があります。海外へ出る道は沢山あり、この道がだめでもあの道もあると考えてみてください。
海外へ出るのが先ずは最初のゴールなら海外に出てからが本番。人生長いです。
世界は日本だけではありません。
是非これから海外へ出ようと考えている皆さん、そして既に海外で活躍されている皆さん。これからもっともっと日本と世界が繋がっていけるよう、このサロンメンバーで私もですが、日本と海外を橋渡しできる道を作ったり、色々な可能性を広げられたりしたら素晴らしいんじゃないかと考えています。
これからもこのサロンとせかいじゅうキャリアでどうぞよろしくお願いします。
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