海外移住に憧れているけれど、英語に自信がなくて一歩が踏み出せない。
専業主婦になってから、自分は何のためにここにいるんだろうと感じてしまう。
移住後に仕事を探すとして、何から始めればいいのかわからない。
そんな悩みを持つ方に向けて、今回はアメリカ・カリフォルニア在住10年のようこさんにインタビューしました。
ようこさんは夫の海外出向をきっかけに家族で渡米し、Google向けの派遣の仕事を経てテスラに転職、現在は日本の魅力を英語で発信するプロジェクトも手掛けています。
この記事を読むと、出向の知らせを聞いた瞬間の意外な本音や、専業主婦になったことで抱えた罪悪感、そして未経験からテスラの仕事を掴むまでの就職活動のリアルがわかります。
大喜びで受けた海外出向。きっかけは何年越しの直談判
夫の出向が決まったと聞いたとき、ようこさんは不安よりも先に大喜びしたといいます。
実は出向の話が出るずっと前から、夫婦そろって上司や本部長に「海外に行きたい」とアピールし続けていました。
念願がかなった瞬間だったのです。
一方でようこさん自身に海外経験はほとんどなく、旅行で一度訪れたことがある程度でした。
それでも海外への憧れは強く持っていたといいます。
子どものための月一ホームパーティーが芽生えさせた「自分も海外に住みたい」
その憧れの原点は、子育ての中にありました。
自身が英語を苦手としていたこともあり、子どもには本物の英語に触れさせたいと考えたようこさんは、近所に住むアメリカ、イギリス、タイ、オーストラリア出身の外国人を自宅に招き、月に一度のペースでホームパーティーを開いていました。
手打ちうどんや餃子をみんなで作りながら、お酒を飲みつつ異文化について語り合う時間です。
この経験を通じて、違う文化を知る楽しさや、自分の言いたいことが伝わる喜びを実感し、実際に海外で暮らしてみたいという気持ちが大きくなっていきました。この頃の経験のおかげか、息子は海外の人と話すことに物怖じしない性格に育ったそうです。
無職になった罪悪感 1ドルの節約に追われた渡米直後
移住したのは、息子が14歳、日本でいう中学1年生を終えたタイミングでした。
渡航や引っ越しの手続きは夫の会社がガイドしてくれたため、大きく迷うことなく進んだといいます。
ただ、今振り返ると心残りもあります。
住む家を決める際、現地のエージェントだけでなく実際に暮らす人からもっと治安や学区の情報を集めればよかったと感じているそうです。
最初に住んだのは教育熱心な地域で学区のレベルは高かったものの、家賃は「信じられない高さ」でした。
道路一本を挟んだだけで学区も家賃も大きく変わることを、住んでから知ったといいます。
生活面でより堪えたのは、日本での仕事を辞めて無職になったことでした。
夫の収入だけで暮らす中で、化粧品を買うことにさえ申し訳なさを感じてしまい、「軽くうつまではいかないけれど」と表現するほど気持ちが沈んだ時期があったそうです。
何か一つ買うにも1ドルでも安いものを選ばなければという強迫観念に駆られ、相談できる友人もいない中で過ごした、辛い時期でした。
「ピロピロにしか聞こえない」 英語ショックと容赦ない子どもたちのスラング
英語には自分なりの自信を持って渡米したものの、現地の会話は「ピロピロピロピロ」としか聞こえず、大きなショックを受けたといいます。
追い打ちをかけたのは、子どもの通う学校でボランティアをした経験でした。
文法を無視したスラングだらけの子どもたちの英語が、誰よりも聞き取れなかったのです。
子どもは素直な分だけ容赦がなく、拙い英語を遠慮なくからかわれることもあり、現実を突きつけられる出来事でした。
コネとビザステータスの壁 履歴書だけでは通らないアメリカの就職活動
息子が高校卒業に近づき、少し手が離れてきたのを機に、ようこさんは就職活動を始めました。
そこで直面したのは、日本とはまったく異なる採用の仕組みでした。
レジュメの書き方から違ったことに加え、最も驚いたのは「コネ」、つまり紹介の有無が採用の可能性を大きく左右するという事実です。
信頼できる紹介者が一筆、レコメンデーションレターを書いてくれるだけで、面接に進みやすくなるといいます。
さらに立ちはだかったのがビザステータスの壁
当時はL2ビザによる就労許可書(EAD)を持っていたものの、グリーンカードや市民権はなく、以前の職種に近いラボ関連の仕事に応募しても、最終面接の段階で「働けるビザはあるか」と聞かれ、条件を伝えると不採用になることが何度もありました。
国のエージェンシーが関わる仕事には、秘密保持契約の関係で外国籍のままでは携われないという事情があったのです。
Google向け派遣からテスラへ 日本での経験が導いた奇跡の転職
最初に就いたのは、小さな派遣会社の正社員としてGoogle向けに働く仕事でした。
しかし実際の業務は、検索結果に表示される日本語サイトの見出し作成で、使う言語は日本語のみ。
アメリカにいるのに日本語しか使わないというジレンマを抱えながら働いていたといいます。
その仕事を続けながら転職活動を重ね、「奇跡的に」と、ようこさん自身が語るほどの巡り合わせでテスラへの転職を果たしました。
配属されたのは電気自動車のバッテリーの要となる電極材料を扱うチームで、試作品の特性を測定するキャラクタリゼーションという仕事です。
当時携わっていたバッテリーは、現在サイバートラックに採用されています。
この仕事を任されたのは、日本の半導体関連企業で不具合解析や材料解析に携わっていた経験があったからでした。
テスラの職場には移民出身の同僚も多く、英語が第一言語でない人が半数ほどを占めていたため、拙い英語のようこさんにも周囲がゆっくり優しく接してくれたそうです。
まとめ
出向の知らせに大喜びした日から、無職になった罪悪感、英語のショック、コネとビザに阻まれた就職活動を経て、テスラの仕事を掴むまで。
ようこさんの10年は、専業主婦という立場から自分の道を切り開き直す物語でもありました。
後半では、現在取り組んでいる日本の魅力を英語で発信するプロジェクトについて詳しく伺います。
この記事は、Youtubeインタビュー動画のテキスト版です。
ぜひYoutube動画もご覧ください。
英語が話せない専業主婦がGoogle・Teslaで働くまで【アメリカ移住10年】
