※この記事はせかいじゅうサロンの「移住メモリー」企画で、紹介された内容です。
皆様、こんにちは。
2022年3月末よりせかいじゅうサロンに参加いたしました永野と申します。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
今から約10年遡りますが、筆者はスリランカという国に半年ほど、仕事で居住したことがあります。
スリランカと言いましても、最近ニュースでやれ国家の危機だのデフォルトだのという報道がテレビや新聞を賑わしているようですが、いったいどんな国なのかあまりピンとこない方も多いかもしれません。
ではこのあたりの紹介から始めてまいります。
スリランカという国
スリランカの正式な国名は「スリランカ民主社会主義共和国」といいつつ、一応は大統領制の国で、ほぼ資本主義の国と思われます。
しかしまだ国営インフラの割合も少なくなく、例えば鉄道や電力は今なおほぼ国営、バスや通信(特にモバイル通信)は国営と民間が共存しているといった具合です。
そういう意味では、まだ社会主義的な片鱗を感じさせるところもあるかもしれません。
場所はインド亜大陸の先端の南東に位置する小さな島(セイロン島)です。
面積は約65,600㎢(世界119位)で日本の東北地方6県とほぼ同じ広さです。
人口は約2,100万人(世界57位)で、東京と埼玉の人口を足したくらいの数です。
人口密度は㎢あたり約340人で、ほぼ日本のそれと同じ、人口密度は高い方といえます。
筆者がいた2012年当時で、在留届を出している日本人は約900人でした。直近の外務省のデータでは約720人ですから約2割減、多分コロナや経済状況を反映しているようです。
スリランカは基本的に「年中暑い」国です。
全島が赤道より少し北(北緯6度前後)にあり、特に沿岸平野部(都市部)で最高気温が30度を下回ることはほぼありません。
最低気温でも都市部は22-25度くらいと熱帯夜になりやすい日々が続きます。午前中はカラッとした暑さ、午後はいきなりスコールが降り出し、スコールが止んだ後は蒸し暑さがメインになります。11-2月(乾季)にかけては最低気温がもう少し下がります。
しかし島中央の山岳部はかなり気温が下がり、最低気温が10度を下回ること珍しくなく、ガスに覆われて視程が数百メートルにまで短くなることも多いです。
この山岳気候の下で、おいしい紅茶(セイロンティー)の栽培がおこなわれています。「ヌワラエリヤ」「ウバ」という種類の茶葉は実にスリランカ産です。
中心都市は「コロンボ」(島の南西海岸に位置 人口約75万)ですが、ここは首都ではありません。
首都はコロンボに隣接する「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」(舌を噛みそうですね笑)というところにあります。
しかしここにあるのは国会議事堂だけで、大統領府や各省庁などの中央行政機関は大半がコロンボにあります。
実はこの、スリランカという国なしに、日本の戦後を語ることはできません。
日本が前の戦争で敗れ、かのサンフランシスコ講和条約の締結(1951年)に際し、スリランカのジャヤワルデネ大統領(当時蔵相)は、演説の中で対日賠償請求の放棄を宣言し、改めてアジアの発展のために日本を迎え入れようと述べました。
この演説によって日本は分割統治という最悪の事態を回避し、独立国として再出発することができたわけです。この顕彰碑が八王子(東京)・長野・鎌倉のお寺に計3基建てられています。
機会があればぜひご覧いただきたいです。
さて大まかな国の紹介はこれまでとして、この先は自身の体験談ということにいたします。
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一筋縄ではいかない!?スリランカでの生活-
当初の採用面接のとき、「月に1週間は現地に滞在」という出張ベースでの仕事と聞いていましたので、出張ベースならいいか、ということで採用内定を受け、現地の経営管理に関することをミッションとして参画することになったのです。
ところがいざふたを開けてみれば、「現地駐在(最長5年)」という話にすり替わっており、最初は戸惑ったのです(苦笑)が、思い切って入社することにしました。
入社日の前日に急遽役員とともにスリランカに飛ぶことになったのですが、成田で搭乗した便が悪天候で結局欠航になり、成田空港近辺のホテルで夜を明かすという大トラブルでの幕開け(笑)になりました。
成田から現地までは飛行機で約9時間半(約6,900km)かかります。
当時は成田を午後2時に発って現地には夜8時半(日本時間午前0時前後)に着いていました(直行便は成田からのみ)。
直行便だと現地に夜着いて(その日はもう寝るだけ)、現地を発つのも夜、少し複雑な心境になりましたね(苦笑)。
現地で働く場合、就労用の居住ビザ(Resident Visa といい、1年ごとの更新で最長5年)が必要ですが、現地法人からは1週間くらいでとれるはずと聞いていたにも関わらず、実際には1.5か月かかりました。
最初は居住ビザのほかに入国ビザ(Entry Visa)もとる必要がありますので、余計に面倒です。
普通の短期出張であれば観光用ビザがネットであっという間に取得できますが、時間にはかなりルーズなお国柄で、すべて「予定通り」にはいかないと思っておいた方がいいかと思います(最悪いろいろと言い訳してきます)。
スリランカは今なお電力供給が不安定な国です。
国営の電力公社(CEB)が電力網の構築を進めていますが、今なお毎日島のどこかは停電のリスクを背負っています。
実際現在でもCEBのHPを見れば、島内の停電スケジュールを確認することができます(現状島内がかなり混乱しており、停電時間が10-13時間とかなり長くなっています)。
コロンボのような大都市部ですらそのリスクはゼロとは言えません。
災害起因ではないところが日本と大きく異なる点です。
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筆者は現地法人が用意したコテージホテルに宿泊しましたが、そのホテルは主要国道から数キロ奥に入ったところにあり、ホテルまでの街灯はほとんどありません。
本当に真っ暗です。
ホテル自体日没すぎ(事前連絡しないと19時前後)には門限を迎えてしまうため、週末に外出したときなど、ホテルに戻るのは本当に焦りました。
ホテルからコロンボの中心部まで、交通機関を乗り継いで約2時間(片道約45km 東京~大船くらいの距離)近くかかるのですが、午後3時までにはコロンボを発たないと安心してホテルには戻れなくなります。
実はホテル住まいは仮の姿で、本当は駐在員専用の「家」ができる筈、でした(苦笑)。
しかし結局「家」はできず、帰国までずっとホテルに住む羽目になりました。
スリランカでは、家を建てるにはまずいくらかまとまったお金を用意するのですが、建設の途中でそのお金が尽きてしまうと工事が中断します。
建築主が再びまとまったお金を用意した段階で工事が再開します。
ですので、お金が貯まらなければいつまでも現場は建設途中のまま放置状態になります(住宅ローンはあまり普及していません)。
現地の主な乗り物といえば、3輪タクシー(Three WheelerとかTuk Tukと言います)とバスがメインになります。3輪タクシーは気軽に乗れますが、乗る際には必ず屋根に”METER(ED) TAXI”(メータ付きタクシー)と書かれた看板のついているものを選ぶことです。
スリランカでは3輪タクシー営業の規制がほぼありません。
日本人はぼったくりのターゲットになりやすいですから、十分な注意が必要です。
また3輪タクシーは左右に無防備で、特に乗車中に急なスコールが降るような場合、雨除けカバーがないタクシーだとずぶ濡れになることもあり得ます。
都市部なら普通の4輪タクシーも走っていますので、そちらを利用する方が無難です。
バスはシティバス(エアコンなし)と、エアコン付きの”AC”(Air Conditionerの略)バスの2種類があります。前者は主にインド・スリランカ製のバスが、後者は主に日本製の中古マイクロバスが使われています(日本製の中古車は現地でも大活躍!)。
シティバスは公営と民間の両方があり、公営(SLTB)バスは車体がやや暗めのエンジ色の車体ですぐわかります。
民間のバスはバス会社によって塗装は様々ですが、正直派手な塗装が多いです。
基本的にバスの運転は乱暴でクラクションをよく鳴らします。
正直事故が起きない方が不思議なくらいです。
片側1車線くらいの道路でも、3輪タクシーの脇を4輪車が追い越し、その4輪の脇をシティバスが二重に追い越していくという光景が当たり前に見られます(現地スタッフからは、日本人は運転しない方がいいと何度も言われました)。
シティバスに乗る際に必ず理解しておきたいマナーとして、バスの進行方向左の一番前2列の座席は、僧侶・妊婦(あと外国人)優先席ということです。
特に僧侶が第一優先で、たとえ車内が満員であっても、僧侶が乗車の際に一般乗客はかならず席を譲ります(日本と異なり、仏教僧侶の地位はかなり高いです)。
バス停の案内放送はありませんが、下車したい場所に近くなったら、車内にある下車用のベルの紐を引けば、次のバス停で停まってくれます(ACバスは日本のように押しボタンのあるものが多いかも)。
筆者はホテルから数キロ離れたHoranaという街のバスターミナルからコロンボまで、最短約35km(東京~東戸塚くらいの距離)の区間をバスに乗りましたが、その間約1時間半の行程でシティバスは日本円で40-50円、ACバスで約160-200円くらいでした。
そのくらい物価の安い国でした(但し今は激しいインフレで高くなっているはずです)。
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バスの時刻表はないに等しいです。停まってくれるバスと無条件で通過してしまうバスとがあります。
また時刻表があったとしても、それ通りにバスが来ることはまずありません。
バスが近づいたら必ず手を挙げて合図してください。
それでもバスが通過したら、あきらめて次をお待ちください(多分これに慣れるには時間がかかるかも)。
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当時現地では年収100万スリランカルピー(LKRまたはRs.と略す)取れれば「成功者」と言われていました。
現地の化粧品メーカーの入社1年目の工場ワーカーの月収は約6,500-7,000Rs.でした(年収で約80,000-90,000Rs.)。
現在では1Rs.=0.39円まで値下がりしていますので、日本円をもっていけば現地で大金持ちになれますが、帰国する時はわずかしか手元に残らないことになるかもしれません。
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日本人はコロンボ以外では皆無と思ってください。
当時JETRO(ジェトロ)の現地事務所で話を聞いた時も、コロンボから20-30km離れれば日本人のいるところなどほとんどないといわれました。
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実際に住んでみて
筆者の現地での生活についてご紹介します。
平日は泊っているホテルに、会社から大型のバンが迎えにやってきますので、それに乗ります。途中、従業員をピックアップしながら会社に向かい、乗り始めから約20分で会社に着きます。
始業は午前8時ですが、すでに日本はお昼前(11時半)であり、実質半日遅れていることになりますので、日本の状況をキャッチアップするのは結構大変です。
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終業は午後6時(日本時間午後9時半)ですが、帰宅は残念ながら前述のバンに乗る以外に方法がありません。
夕方になっても周辺道路には街灯はあまりついていません。
ですから歩いて帰るものならあっという間に夜の帳が下りてしまい(オフィスからホテルまで徒歩1時間半以上)、ホテルは門限を迎えます。
ホテルの自室に戻ってもスリランカより西にある国はまだビジネスタイムなので、そことのやりとりが結構頻繁にあって、不自由な通信環境の中、どうしても「在宅」的な残業が発生します(苦笑)。
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週末は自室で本を読んだり、敷地内のプールで水浴び、またホテルのマネジャーやスタッフと会話するとかもできるのですが、あまりつまらない(苦笑)ので、大概は先ほどの3輪タクシーで最寄りのバスターミナルに向かい、そこからバスでコロンボ中心部に学びや遊び、ウォッチングに出かけるというのが普通の過ごし方でした。駐在員なのに「大切なお客様」扱いされたような感じもあり、事故があってはいけないからできるだけ外出はしないでくれとよく言われていました。
コロンボで最大級の書店にも足を運びましたが、日本語の書籍は皆無と言っていいです。
あるのは現地語であるシンハラ語やタミル語、それから英語の本がメイン。
幸い多少英語はできたので、英語で書かれたシンハラ語講座のテキストを買って勉強しました。
バスターミナル周辺にスーパーマーケットもあり、買い物にはあまり不自由しませんが、中心部を離れるとお店の作りが古く、あまり信用しない方が良いと思います。
ちなみに食事は3食ともカレーが中心(笑)でしたが、スリランカカレーは日本のカレーと異なり、どちらかというとスープカレーに近く、辛みが強くてもさわやかな印象です。
日本でいう「激辛」というのとは違います。またカロリーも日本のカレーの約半分くらいと思ってくださって構いません。それだけヘルシーです。
貧相ながらもモバイル環境はなんとかなりましたので、地図で現在位置を確認し、コロンボからホテルに戻るときは経由地を変え、鉄道とバスの組み合わせにチャレンジしたりもしました。
鉄道も正直なところ、当時時刻通りに運行しているとはとてもいいがたく、基本的には「来た列車にのれば、方向さえ間違っていなければなんとかなる」というスタンスで乗ったものでした(苦笑)。
コロンボの中心部にはショッピングモールも結構あり、外国人向けとスリランカ人向けとある程度分かれていたりはしますが、かさばるものでなければそれなりに買い物は楽しめますし、ショッピングモールの地下にあるフードコートなども、現地料理だけでなくアジアン系の料理も比較的格安で食べられます(日本円で200-400円くらい)。
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路上には乞食の方が多くいました。ただしこれらの人に施しはしないでください。
この乞食の中にはプロの方もいるのです。日本人はほぼカモにされます。近づくことのないように願いたいものです。もし後ろから何度もねだられたら「エパ!」と怒鳴りつけて速足で逃げるようにしましょう。
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基本的に治安はあまりよくありません(昨今は特に)。
2012年当時はまだ比較的治安はましな方でしたが、コロンボ中心部のいたるところで銃を持った軍人が立哨していました。この国は2009年まで現地のシンハラ民族とタミル民族の間で10数年にわたる内戦があり、この間インフラの発達に大きな後れを取ってしまったことは間違いありません。
実はこの国は世界遺産の数が多く、2019年だったか、海外の旅行雑誌等で、旅行で訪れるマストな国の第一位に輝いたこともある国です。
歴史と文化遺産、自然環境、リゾート施設などが豊富にあるからです。特にヨーロッパからの観光客からは人気絶大でした。世界遺産の数は8つと結構上位に位置しています。
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外国人としての日本人
筆者は当初、「スリランカに移住したい」と思って住んだわけではありません。
長引く景気の低迷や震災の時期でもあったため、閉塞感を打破するために積極的に海外に出ていこうというマインドになり、その結果として出かけた最初の国がスリランカだったというわけです。
ですから、スリランカのことを勉強し始めたのは、当時内定が出てからのことでした。
現地では日本人は圧倒的にマイノリティ(外国人)にはなってしまいますが、日本にいる時以上に日本人らしく振舞うことが大切です。
当時スリランカのどこへいっても、お前は中国人かと聞かれました。こちらが日本人だと現地の人に分かれば、自身の振る舞いが「日本人の振る舞い」だと解釈されます。自身は現地における「日本代表」です。
当時の勤務先のワーカーから見れば、肌の色が全く違う人種がいきなりやってきて、自分たちと同じ敷地内にいることが不思議であり違和感なわけです。
ですからまずは現地の人たちの目線の高さを大切にしました。
いつも挨拶を心がけ、現地語がなかなか通じなくても、少なくとも英語で話しかけるとかして、オープンマインドで接することがとても重要でした。
そういったことを足掛け2か月間ずっとやり続けてようやく現地の人に信用してもらえるようになりました。結局半年後に帰国することになってしまいましたが、去り際に「次回はいつ来てくれるのか」と多くのスタッフから声がけしてもらったことは忘れません。
海外に住むと、自身が日本人であるということを痛烈に自覚します。
日本の中の日本人ではなく、「世界の中の日本人」であるということを自覚します。その自覚という経験は、日本に戻ってきてもものすごく生きると思いますし、再び海外を知ろうというマインドにさせてくれます。実際帰国後も仕事のたび、実に10数回スリランカに飛んだだけでなく、台湾、シンガポール、ベトナムなど都合11か国に飛びました。そのどれもがものすごく貴重な経験となり、これからは積極的に海外との交流を持っていこうと、大きなマインド転換が起きたことは事実です。
このコミュニティにいらっしゃる方々は、なにがしか海外に興味を持っている方が大半と思いますが、観光で行くだけでなく、やはり現地を知るには現地に住むこと、そして現地に染まること、これがとても大切な経験になります。筆者にとっては、スリランカという国がそのきっかけを与えてくれた最初の国だと思っています。
今スリランカは大変な経済的混乱のさなかにあります。住んだことのある人間として、この状況はとても痛ましいことです。一刻も早く活力を取り戻すことを願っています。
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長文でしたが最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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