今や性的にマイノリティとされるLGBTの情報は世界でもあふれています。
日本でも現在いろいろと話題となっているこのテーマ。
ドイツではどうなのか、日本とどう違うのか。
その内情をドイツ在住10年のわたしの実体験を含めながらお話したいと思います。
ご想像の通りドイツ、ひいてはヨーロッパでは日本よりもオープンにしている人が多く、その分出会いもあります。
しかし、裏を返せば不特定多数の人物と会うことには、危険も伴います。
どう日本よりオープンなのか、何が危険なのか、わたしが肌で感じたことをお伝えできればと思います。
抑圧の日本
私が自身の性的マイノリティに最初に気づいたのは小学校高学年の時。
通学班の班長であったりクラブ活動の同級生であったりと、異性でなく同性にときめきを感じるようになりました。
中高生にもなるといよいよ自分はゲイなんだと自覚し始め、同時にこれはおかしいことなんだ、とも思うようになりました。
普通じゃない=おかしい、病気だ、とも思い、ネットで治す方法とかを探したりもしました。
今思い返せば無駄な努力ですが、当時は気が気でなく、このままではいかん、と思っていました。
日本ならではの右へならへの精神で普通であろうと居続けた結果、私の青春時代は抑圧の時代でもありました。
日本での出会い
大学生にもなるとさすがに自分が同性愛者ということを受け入れられるようになり、親しい友人にはカミングアウトもできるようになりました。
また行動できる範囲・交友関係も広がり、ゲイの人と会うことも増えました。
ただ、当時2000年代の日本ではまだLGBTという言葉は浸透しておらず、受け入れられる環境とはいいがたいものでした。
会っていい雰囲気になってもその先がないことが多い印象です。
恥ずかしがってなのか世間の目が気になるのか、数回会って終わりというパターンが多かったです。
かの有名な新宿2丁目にも足を運んでみたり、スマホがない時代でしたがPCから掲示板というものを使い、同じゲイの人と会ってみたりしましたが。
やはり続かない。
会う人会う人が遊び人というわけではなかったですし、気が合わないわけでもない。
もしかしたらこの人たちも自分と同じように抑圧されたことで同性愛=普通じゃない、という図式ができ上がってたのかもしれません。
開放のドイツ
詳しい理由は別の機会に、ということで省きますが、20代半ばでワーキングホリデーでドイツに行くことになりました。
ドイツの生活に胸を躍らせ、いい人と出会えるといいなぁ、と希望にも満ち溢れていました。
そのころにはスマートフォンも広がっていて、いわゆる出会い系アプリというものもあったのでさっそく友達でもできれば、と登録すると・・・
下世話になりますが、メッセージは来るのですが8割は下心見え見えというか直球のメッセージ。
あぁなるほど、こっちの人は直球なんだ・・・でも会ったこともない人にそんなメッセージ送るか?と複雑な心境に・・・
ただ、どうやらこちらでは体の関係からお付き合いに発展することも多いらしいです(異性愛者・同性愛者問わず)。
それに町中でも男同士、女同士で手をつないで歩いている人も見かけました。
ゲイパレードとなるとたくさんの人が集まりお祭り騒ぎです。
あー、こっちはいろいろな面で開放的なんだな、と実感した瞬間でもあります。
データでみると日本のLGBTの割合は人口の10%ほどに対してドイツは7〜8%ほどといわれています。
なのにドイツのほうがはるかに開放的です。
同性愛を差別してはいけないという法律もあります。
こういった下地があるからこその積極性でもあるんだなと感じました。
ドイツで同性愛者と会う
・ケース①
渡独してしばらくしても変わらずアプリを続けていると、まあさすがに数人と会う機会もありました。
その中で実際に付き合う人ができ、うきうきしながらデートに行くと・・・・
待てども待てども待ち合わせ場所に来ない・・・・
こっちの人は時間にきっちりしていないので、まあ数分なら、と思い待つこと1時間。
逆に何かあったのではないかと心配になっていた時にようやく連絡が!
その人がいうには家族でランチに行ってたとのこと。
信じられませんでした。
さすがにそれはないだろと思い、「そういう用事があるなら先に伝えてほしい」というと、「あなたの意見をなぜ私が聞かなければならないのか?」とメッセージが。
これにも衝撃でした。
もちろんすべての人がそうというわけではないと思いますが、個人主義というか自分中心主義というのにあっけにとられてしまいました。
結局そのことで別れたのですが、それ以降もしばらくこの人からはなぜかラブコールがあり、あぁ、本気で悪いと思ってないんだ、と思い知りました。
今回は危険な目にあったわけではないですが、これが文化、価値観の違いかと痛感した出来事でした。
・ケース②
別の男性とも会う機会があり、1度も会ったことはありませんでしたが食事に誘われたのでついていくことに。
そして食事を終えて、一言、ウチくる?
これ!危険です。
男女間の恋愛にも言えることですが、積極的に動こうと思っていたがゆえの行動が裏目に出ることになります。
当時は無知でしたので、こちらの人が言う「ウチくる」がどういう意味なのか理解していませんでした。
少し飲みなおしておしゃべりして、じゃあまた今度、程度だと思っていたのですが、家に着いてさっそく襲われました。
ああなるほどな、と。
先にも書きましたが、体の関係から始まることもある、要は、まずはやってみようということなんだと実感しました。
自分の無知を痛感したとともに、これもすべての人がそうだとは言いませんが、やっぱりこっちの人は手が早いなとも思いました。
積極的に動くことにも注意をしないといけません。
特にドイツ人は体格差からか、迫られたら逃げようがないのです。
傾向と対策
そういったこともあり、しばらくは出会いから遠ざかっていました。
ちなみに2021年のドイツの人口千人当たりの犯罪発生率は6,1%、たいして日本はわずか0,45%です。
これを見るだけでもかなりの差があるのがわかります。
性犯罪に絞っても、人口10万人あたりの強姦事件の警察の認知件数では、日本は1,02に対し、ドイツは9,38です。(出典 https://comemo.nikkei.com/n/ne359f4cb837e)
私は訴えたりしたわけではないのですが、これだけ性犯罪が横行しているのです。
また、私は同年代との出会いを求めいていたのですが、なかなか出会いもなく、どうやらこちらでアジア人は人気がないとわかりました。
ただ唯一、年配の方からメッセージをもらうことが多かったです。
なるほどアジア人は年齢を重ねても小柄で若く見えるからかなと自己分析はしてみましたが、私は残念ながら同年代との出会いを求めていたのでお断りしていました。
あくまで私の使用していたアプリから見て取った主観交じりの意見ですが、やはり白人は白人同士、アジア人はアジア人同士でくっつく傾向があるようです。
以前の失敗を踏まえ、価値観の違いも考えると、何人であれ日本に理解のある人がいい。
となるとねらい目は日本人もしくは日本人好きの現地人。
狭き門ですがここにしぼって探してみるようにしました。
いい出会いはあったが
やはり30代になってくると恋愛願望というか結婚願望というものが増していきます。
日本人好きの人と会おうと奮闘していると、ようやく思った通りの人と出会うこともでき、数回会ううちに恋愛感情というものを抱きはじめました。
しかし、ここでも日本人特有(私だけかも?)の性格があだとなってしまいました。
日本人はシャイでおとなしく、独特の空気を読む傾向が一般的にあると言われています。
せっかく出会い、よい感じになったにも関わらず私は恥ずかしさから、愛情表現がうまくできませんでした。
また、この雰囲気なら相手もいい感じと思ってくれているはず、と空間を共有していることに満足してしまい、なかなか先には発展していきませんでした。
そのため、しばらくたったある日、君とはもう会えない、君よりもいい人を見つけたから、とあっさりフラれてしまいました。
ドイツで同性愛者とで生きるということ
このような経験から、ドイツ人、ひいてはヨーロッパ人には包み隠した感情を読み取ってもらう、というのは難しいのだと実感しました。
また、向こう見ずな行動が危険だということも。
完全に自分の価値観だけで恋愛を進めてしまっていました。
男女の恋愛であっても同じだと思いますが、相手の価値観に合わせることも大事です。
ただ違いがあるとすればやはり出会いが少ないこと。
道端ですれ違う人、会社の同僚、カフェで、そんなとこから恋愛には発展しません。
どうしてもそう言ったバーやアプリに頼るしかないのです。
なんたって人口比では日本よりゲイの人は少ないので・・・。
こちらで同性愛者として生きていくには慎重に、かつ直球勝負で表現豊かに相手に接しないと進まないということがわかりました。
見る目を養わないといけないですね。