アメリカの現役プロサッカー選手が明かす海外渡航論

アメリカのコロラド州に住み、プロサッカー選手として活躍されている原田慎太郎さんに、海外渡航の意義について、お聞きしました。

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1. 経験という名の宝石

僕はアメリカのコロラド州に住む35歳のプロのサッカー選手です。

2007年にアメリカに来てプレーをし始めてからはや10シーズン、最初の都市はボルチモア(メリーランド州)。そこで3年過ごしたところから始まり、その後ピッツバーグ(ペンシルバニア州)で3年、デイトン(オハイオ州)で2年過ごし、そして昨年からコロラドスプリングス市(コロラド州)に移ってきて今に至ります。

外国で生活するのはアメリカだけでなく2009年にはイギリスはロンドンで4ヶ月ほど、2013年には香港で半年サッカーをしました。そんな少し変わった経歴を持つプロサッカープレーヤーです。

もうかれこれ10年ほど日本を離れて暮らしているそんな僕ですが、最近その10年間を少し振り返ってみたのです。「最初に来た頃は全く言葉が分からず苦労したなぁ」とか「アメリカでは本当に様々な方々に助けられたなぁ」など…。良い思い出も、苦労した思い出も…。

すると今、知らぬ間に自分がたくさんの宝石をジャラジャラ身にまとっていたことにふと気が付いたのです。

宝石といっても本物のダイヤモンドとか、サファイヤとか、そういった宝石では決してなく、数え切れないほどこの10年間で自分が得てきた「経験という名の宝石」です。

未知の世界へ。伝えたい事

今思えば、当時よくアメリカに行こうなどと考え付いたなぁと思っています。

僕がアメリカへ渡ってきた2007年、2000年代中頃は、まだアメリカサッカーは今ほど人気がなく、日本では「アメリカにサッカーなんてあるの?」といった具合で、アメリカでサッカーをした事のある日本人選手もいなければ、どんなリーグがあるのかも分からない文字通り「サッカー不毛の地」と呼ばれていた時期でした。

そして僕自身もそれまで海外という海外に全く行ったことがなく、日本から出たことすらないというほど外国は未知も未知。

そんな状況からどうやって、どういう思いで、そして何がきっかけで海外に出て行ったのか、それが今回一番読者の皆様にお伝えしたいことなのです。

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2. 夢を追って向かったアメリカ・トライアウトの旅

 2006年、僕は富山のプロサッカークラブにいました。その年は思うように自分とチームの成績が出ず、大変苦しい一年でした。

その当時26歳。この先どうして行こうか、このままサッカーをやっていて良いのだろうか、などと思い悩み、結果が出ず苦しい毎日を過ごしていたことを今でも覚えています。そしてその年の暮れ、チームから退団することになり、新たな進路を考えていても先の見えない、苦しい人生の岐路に立たされていました。

まだサッカーを続けようか、それとももうこんな辛い思いをするならサッカーなんていっそやめてしまおうか…。

思うように行かなかった自分のプロ選手としてのキャリアに納得が行かず、今までやってきた自分自身を否定しては自分を追い詰めて、苦しい思いをするという悪循環、人生暗中模索状態といったところでしょうか。

本当に苦しかったことを覚えています。

幼い頃から夢見ていたこと

ただ僕は、幼い頃からずっと夢見ていたことがありました。

それは「いつか海外でサッカーをする」という夢でした。

それがそんな苦しい状況の中でも、まだ自分の中にかすかな火として残っていて、僕は心を入れ替え前を向き、その果たしたかった夢を追うことを改めて決心し、即海外でプレーするにはどうすれば良いのだろうかと行動に移したのです。

それは自分で調べることであったり、それは人に聞くことであったり…。

オーストラリアリーグ、シンガーポールリーグ、タイリーグ、韓国のリーグか、はたまたヨーロッパか。いろんな人から様々な国のことを聞き、情報を得ようと必死でした。

そしてそういった中からどの国に行くのがよくて、どうやってその国に行き、さらにはどう契約までこぎつけられるのか…。ひたすら考えました。考えた末、ぶち当たったのが「アメリカサッカーリーグへの移籍」でした。

無我夢中ではじまったアメリカ・トライアウトの旅

 海外に行ったこともない、英語も話せない。

それまで日本から一度も出たことのない僕でしたが、自分の夢、海外でのサッカー、そして何よりもう一度自分の「選手としての価値」をアメリカで証明してやろうと。

東海岸を中心に3、4チームのトライアウト(入団テスト)を1ヶ月の間で周る旅程を立て、無我夢中でスーツケースに荷物を詰め、サッカーシューズを肩から引っさげて、僕は何も知らない未知の世界、アメリカ合衆国へと一人飛び込んで行ったのです。

「アメリカ・トライアウトの旅」の始まりです。

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 そのアメリカへ向かう道中も様々なことがありました。なんせ26歳にして初めての海外ということだったので、どう飛行機に乗り、どこで乗り換え、どのようにしてホテルに辿り着くのか、海外に出たことの無い僕は分からないことが多く、慌てふためくこともしばしば。

空港のロビーで待っていた飛行機のゲートの番号が突然変わっていたことに気付き、慌てて出発5分前に空港内の一本道をその変わったゲートめがけてこれでもかってくらいに荷物片手にダッシュしたり。

ボルチモアの空港に着き、その空港から一歩外に出て息をすった瞬間の胸を突き刺すような感覚。

当時アメリカ東海岸側を襲った大寒波の影響で、-20度という極寒にさらされたり。ボルチモアに着いたはいいけど、そこからどのようにしてホテルに行けるのか分からずおろおろしていたところを大変親切なアメリカ人のご夫婦に親切にシャトルバスのところまで案内していただいたりと…。

本当に良くホテルまで辿り着きました(笑)。

特にあのボルチモアの“極寒”は忘れることができません。

いきなり-20度という“きつい洗礼”を浴びたような気がして「この先どうなるのだろうか…」と、寒さもあいまってか不安に思ったことを今でも忘れません。そして本当にトライアウトは予定通り行われるのかなんて、そんな不安さえ頭をよぎりました。

しかし、なんとか予約をしたホテルに辿り着き、トライアウト会場をしっかり調べ、極寒のボルチモアでカチカチと音のなる凍った芝生の上を思いっきり走り回りサッカーをプレーました。今思えば本当に全てが良い思い出です。

結果的には、一番最初に向かったそのボルチモア(メリーランド州)のクラブ、クリスタル・パレスUSAのトライアウトに合格し、そのトライアウト後すぐクラブと一年契約を交わし、その後予定していた3つのクラブのトライアウトをキャンセルして日本へビザを取るために帰国したというわけです。

その間2週間でしたが、目まぐるしいほど今まで経験した事の無い様々なことが一度に起こった激動の旅となりました。

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3. 人生を大きく変える最初の一歩

そんな旅をしてからはや10年…。こんなにも長くアメリカで素晴らしい時間を過ごせるとは、、そのときは夢にも思っていませんでした。

ここには書ききれないほどまだまだ素晴らしい経験をたくさんしてきました。

それは自分が日本でしてきた辛く苦しかった経験がぶっ飛ぶほどの素晴らしい経験の数々。時に美しく、時にきつくもありました。サッカー選手としてだけでなく、一人の人間として海外に身を置き、暮らし、働き、様々な物事を乗り越える。

言葉の壁を感じ、文化の違いを感じ、それらを楽しみつつも一つ一つクリアし、毎日自分の成長を実感する。さらには新たなる自分を開拓してゆく。そうやって僕は今まで外国で生きてきました。そしてどの良い経験も辛い経験も今の僕にとっては、ジャラジャラと身にまとっている「宝石」の一部となりました。

そんな素晴らしい、日本にだけいてはできない経験を、一度きりの人生の中で是非一度してみてはどうでしょうか?という話です。

今日本には、海外への留学を考えている方、海外へ仕事で転職をしようと思っている方、様々な状況、事情を持つ方々が自分で海外への扉を開こうとそのドアノブに手を掛けている状況かも知れません。

日本から出ることが怖い、不安だ。全てが揃う平和な日本から出たくない。

かつての僕もそう思ったように、それは不安や恐れもあるでしょう。

ですが、ここで大切なことは紛れもなく「外へ飛び出す勇気」

その第一歩さえ踏み出し乗り越えてしまえば、その先にある物は日本では見たことのない光景、海外でしか感じることのできない文化・慣習の違い、国を超えてできる人脈、海外へ来たからこそ改めて気づく家族への深い感謝。そして何よりも内からしか見たことのない我が日本を外から見ることができるのです。

海外に出て初めて気づく日本の素晴らしさ、美しさ。日本人であることへの誇り、世界における日本文化の尊さ。そういったものは、海外に出ていった人にしか分からないかけがえのない貴重な経験になるのです。

さぁ、今自分の中にある海外への思いや憧れ、自分の中に燻(くすぶ)っている火種、その直感を信じ、大きな第一歩を踏み出してみましょう。

海外に行ってみたい理由や理屈、それは何だって良いのです。

海外で勉強したい、大学へ行きたい、仕事がしたい、友達(人脈)を作りたい。理由は様々あるでしょう。

日本という小さな国を飛び出してそのドアを思い切って開けてみようではありませんか。その先にいる新しい自分、数年後に持っているであろうジャラジャラ音の鳴る「経験という名の宝石」を捜し求めて。

そのドアを開ける勇気、その火種を大きな炎にできるチャンスです。海外で、自らの人生を大きく豊かに変えるための第一歩を、まず踏み出してみてはいかがでしょうか。

一緒に外から見える日本の素晴らしさ、見てみませんか?

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